其処[そこ]で六右衛門[ろくゑもん]は早速使[つかひ]を▼津田山に棲居[すまゐ]を致しまする▼鹿の子[かのこ]の許[もと]へ遣[つか]はしました、鹿の子は何事やらんと取るものも取り敢へず、穴観音へ向けて出仕を致し、六右衛門の目通りをすることになりました 鹿子「これは御主君、只今はお使ひに預かりまして有難うございます、して私[わたくし]をお呼びになりましたのは何か▼火急の御用が出来ましたのでございますか、其の御用の程を承[うけたま]はりたう存じます 六右「オォ鹿の子か近[ちか]う進んで呉[く]れるやう、実[じつ]は其方[そち]を呼んだのは折り入[い]って相談をせんければならぬことが出来たので…… 鹿子「ハイ何事でございます 六右「外[ほか]でもないが娘の▼小芝[こしば]が此節[このせつ]何となく病床[びゃうしゃう]にあって、彼が心地が▼清々[すがすが]いたさぬ容子[やうす]、何[ど]うも其の病気の原因[もと]が解らぬのである、其処で此の方も種々[いろいろ]心配をする、彼[あ]の病気を一ッ其方[そち]に頼んで火急に癒[なほ]して貰ひたいと云ふ考へであるから、それで其方[そち]を手元へ招いたのである」 意外な六右衛門の言葉でありますから、鹿の子は不思議な顔を致しながら 鹿子「それは何[ど]うも困りました、姫様の病気を私[わたくし]に癒[なほ]せとの▼主命、如何[いか]なることでも背[そむ]きは致しませんが、併[しか]し私[わたくし]は医者でございませんから、何[ど]うも姫様の病気を癒[なほ]すと云ふのは甚[はなは]だ困ります 六右「イヤ其の姫の病気に就[つ]いては、▼其方[そち]でなければならぬと云ふことが出来たので、それは何か娘が心に思ったことあると見えて、俗に申す▼恋病[こひやまひ]と云ふやうな性質[たち]ではないかと思ふ、私[わし]は甚だ心配でならぬ、其方達[そちたち]夫婦は▼彼の幼少の時より傍[かたはら]にあって▼傅[もり]をして呉れ、取分[とりわ]け▼小鹿の子[こがのこ]は非常に我子[わがこ]の如くに可愛がって育て上げて呉れた、又彼[か]れも小鹿の子を我が母のやうに心得て何事[なにごと]も打解[うちと]けて話をするではないか、それに連れ添ふ其の方のことであるから、定めて其方[そち]から聞いて見たれば姫も心の裡[うち]を其の方に申すであらう、それ故[ゆゑ]其方[そち]を急に招いたのである、依ってそれとはなく姫の居間へ参って兎[と]も角[かく]も彼が何か考へて居[を]ることがあるか、其の辺の所を確かめて貰ひたい、略[ほぼ]▼此の方も推量致し居ることもあるが、未[ま]だ明確[はっきり]と判明[わから]ぬのである、依って其の方今より姫の傍[そば]へ参り篤[とく]と聞き質[ただ]して呉れるやう、若[も]し其方[そち]で解らぬことなれば早速小鹿の子を呼んで、彼から聞かしても宜[よ]いが、取敢[とりあ]へず其方[そち]が一応[いちおう]聞訊[ききただ]して呉れるが宜[よ]からう」と云ふ、六右衛門の言葉でございます、
其の身は▼当時はこれと云ふ役を勤めて居[を]るではなし、只[ただ]姫[ひめ]小芝の▼傅役[もりやく]と云ふので此処に奉公を致して居る身の上でございますから 鹿子「如何[いか]にも承知仕[つかまつ]りました、それでは姫君の御容子[ごようす]を確かに伺[うかが]ふことに仕[つかまつ]りませう」と軈[やが]て六右衛門の傍[そば]を離れまして、これから彼[か]の小芝姫の居間へ対して鹿の子はやって参りました、見ると成る程六右衛門の云ふ通り、小芝姫は病床にあって二三名の腰元[こしもと]に介抱をされ、何[ど]うやら▼優[すぐ]れない様子でございます、▼処[ところ]へ入[い]り来[きた]った鹿の子、姫の前へ両手を支[つか]へまして 鹿子「これはこれは姫君に渡らせられますか、貴方は全体何[ど]う遊ばしましたのでございます、お風邪[かぜ]でも召したのでございますか」 と声を懸けられまして、姫は面[おもて]を擡[あ]げ、鹿の子の容子[ようす]をツクヅクと眺めましてホッと▼太息[といき]を吐[つ]きましたが 小芝「オォ鹿の子でありますか、能[よ]く親切に尋ねて呉れました、別段妾[わらわ]は風邪を引いたと言ふ訳ではないが、何[なん]となく心が清々[すがすが]致さぬので、それが為に斯[か]うして打伏[うちふ]して居[を]るのぢゃ、で思ふことは侭[まま]ならず、何[ど]うぞ一日も早く死にたいと存じます」 と打沈[うちしづ]む姫の様子を眺めました鹿の子は 鹿子「これは姫君、怪[け]しからぬことを仰せられます、▼死んで花実が咲くものかと言ふこともございます、併[しか]し貴女[あなた]の御病気は何か物思ひをなすって居らっしゃる御容子[ごようす]に見受けますが、それなれば何も御遠慮に及ばぬことでございます、貴方のお望みは仮令[たとへ]何[ど]のやうなことでもお叶[かな]へ申すことでございますから、私[わたくし]に仰しゃって下さいますやう 小芝「これはしたり鹿の子としたことが、妾[わらは]は何も思って居[を]る様なことは更[さら]にありません 鹿子「イエイエお隠しあるな、私は推量致します、貴方が然[さ]うして日々[にちにち]御心配遊ばすと云ふのは、彼[か]の金長殿を▼我夫[わがつま]ににしたいと言ふお望みでありませう 小芝「エイッ……」 ハッと顔を赧[あか]らめまして差伏向[さしうつむ]く様子をツクヅク眺めました鹿の子は 鹿子「姫君必ず御心配御無用でございます、実の所は今日[こんにち]お父君[ちちぎみ]が私[わたくし]をお招きに相成りまして、篤[とく]と姫の心を聞いて見た上、彼さへ異存なくば一日も早く此の結婚を取急[とりいそ]がんと心得る、我も金長の▼器量あるを知るから、彼[か]れを姫の婿にしたいと云ふ思召[おぼしめし]であるのでございます此処[ここ]で私[わたくし]をお招きになってのお頼みでございます、如何[いかが]でございます姫君、今[いま]此の図を外[はづ]さず、何も恥かしいことはございません、貴女[あなた]が思っただけのことを仰せられまするやう、左[さ]すれば私[わたくし]が何時[なんどき]なりとも中へ這入[はい]って其の▼御周旋[ごしうせん]を申し上げまする一日も早く首尾[しゅび]能[よ]く御結婚の整ふやう致しますことでございます」と言ふので頻[しき]りに心中[こころ]を探りまする、
よって小芝姫は益々[ますます]顔を赧[あか]らめ、暫[しばら]くの間は差俯向[さしうつむ]いて居りましたが 小芝「それでは鹿の子、アノお父様が金長殿と早く結婚の義を御承知置き下し置かれまするか 鹿子「如何[いか]にも左様でございます、六右衛門様の思召[おぼしめし]、貴女[あなた]と金長殿と早く結婚の義を調[ととの]へた上、成る可[べ]くならば金長に此の穴観音の館[やかた]を譲って、御自分は御隠居をなさるお思召[おぼしめし]、▼千住太郎[せんじゅうたらう]様はお在[い]でに相成るといへど、彼[あ]の方は何分▼大将の器[うつわ]にあらず、金長ならでは外[ほか]にはないと言ふ思召[おぼしめし]で居らっしゃるのでございます、それで六右衛門様に於[おい]ては▼疾[とく]より其の思召[おぼしめし]でありまするが、肝心の貴方が生涯自分の夫と致すものをお心の進まぬのを▼無理から持てとあっては後日間違[まちがひ]が出来まする、それ故[ゆゑ]私[わたくし]に篤[とく]と実否を探れとのことでございました、姫君貴方に御異存はあるまいと思ひまする、決して御遠慮は要りませんからお思召[ぼしめし]があらば其の辺仰せ聞けられますやう……然[さ]う黙って居らっしゃっては解らぬではござりませんか、全体貴方は何[ど]う云ふ思召[おぼしめし]で居らせられますか」 と頻[しき]りに迫りまする、姫は一日も早く結婚をして金長を婿にしてやらうと言ふ父の有難い仰せを承り、実に飛立[とびた]つばかりの嬉しさでございまして 小芝「何と言[い]やる、鹿の子、それは本当のことであるか」 と▼喜びの色面[おもて]に表はれまして、思はず▼臥具[とこ]より出[い]でて媽爾[にっこり]笑った其の眼元[めもと]、扨[さて]はと推量いたした鹿の子 鹿子「それでは姫君御異存はござりませんか 小芝「サァ仮令[たとひ]異存はあるにもせよ、お父様のお言葉を背くのは不孝に当りまする、兎[と]も角[かく]もお前に何事も任しますから、何[ど]うぞお父様に其のことを言って彼[あ]の金長様と一日も早く…… 鹿の子「イヤ解りました、貴方がそれさへ仰せられますれば、早速私[わたくし]がお父君に其のことを申し上げまして御結婚の式を挙げまするやう、お勧[すす]め申すことでござります 小芝「それでは鹿の子何[ど]うぞ宜しく頼みます」 と言ふ言葉さへ恥かしく姫は口の中[うち]にて幽[かす]かなる答[こた]へでございます、先[ま]づこれなれば▼お家は万代不易[ばんだいふえき]と大いに喜んで鹿の子は早速六右衛門に此のことを話を致したのでございまして、六右衛門とてもこれを聞きまして大きに喜び、其処で早速金長をば我が手元へ呼び寄せんと使者[つかひ]を立てました、至急相談のしたいことがあるから参れよとのことでございます、
お話[はなし]変[かは]って此方[こなた]は金長狸でございます、これは素[もと]より此の地へ乗り込んで参りまして早[は]や一年の余[よ]経過いたしまして、殊[こと]に本月[ほんげつ]は必ず▼位を授かる身の上でありますから、六右衛門より官位を受けたれば、それを一ッの土産[みやげ]と致して、▼故郷へ錦を飾り、▼大和屋茂右衛門[やまとやもゑもん]の家[うち]を守護いたさんと云ふ、それが為に一生懸命となって修行致して居りました、六右衛門の許[もと]から何とか沙汰があるであらうと、それを心待ちに待って居りまする、所で金長に従がって当所へ乗込んで参りました彼[か]の藤の樹寺[ふじのきでら]に棲居[すまゐ]を致して居りました▼鷹[たか]と言へるもの、金長部下の中[うち]に於[おい]ても天晴[あっぱ]れなる豪傑でございまして、これは日々[にちにち]金長の留守中を預かりまして、旅宿[りょしゅく]に金長が戻って参ると傍[かたはら]にあって何かと用事を致し、これとても一日も早く首尾[しゅび]能[よ]う▼功[こう]成り名[な]遂げて我が身を隠居をしたいものである、主人が授官の後[のち]はこれを一ッの功として自分は隠居を為[な]し、其の上[うへ]忰[せがれ]に世を譲りたいと云ふ望みでありますから、昼夜共に少しの油断もなく金長の傍[かたはら]に勤めて居りまする、金長も数多[あまた]の眷属の中[うち]でも取分[とりわ]け此の鷹は我が身の片腕と致しまして、何かと総[すべ]てのことを心置[こころおき]なく相談を致して居ります、然[しか]るに今日しも穴観音より立帰[たちかへ]りますると早速[さっそく]鷹を手許[てもと]へ招いて
金長「鷹や、其方[そち]も長らく此の地にあって大きに不自由の思ひをさすことであるが、もう併[しか]し当月中であるから今暫[いましば]らくの辛抱を致して呉れ 鷹「何[ど]う致しまして、主人の御修行中私[わたくし]に不自由と云ふやうなことは決してございません、私[わたくし]は宅に居りましても此の様に結構な暮しは出来ませんのでございます、私のことは少しも御心配なく何[ど]うぞ……して▼御主君[ごしゅくん]愈[いよい]よ近日[きんきん]の中[うち]に授官に相成りまするのでございますか 金長「サァ今日六右衛門公のお話では此の上は、教へることがない、近々[きんきん]お前に官位を授ける、と云ふお言葉であった、晩[おそ]くも当月中には何とか御沙汰があるだらうと心得る 鷹「それは結構でございます、併[しか]し願はくば御油断なく、充分御修行が肝心でごさいます」 と頻[しき]りに主従は話を致して居りますと、一匹の▼豆狸[まめだ]、これは故郷から▼荷持[にもち]と致して召連れ来ました▼小者[こもの]と見えまして、取合[とりあひ]の▼唐紙[からかみ]を開き両手を支[つか]へまして 小廝「ハッ申し上げます 金長「何ぢゃ 小廝「只今▼穴観音の親方よりお使者[つかひ]が見えましてございます 金長「フーンマァ何は兎[と]もあれお通し申すが宜[い]い」 小者が立去[たちさ]った後[あと]へ、程なく穴観音から▼主[しゅ]の威光を笠に被[き]て一匹の小狸、容赦もなくツカツカと正面に進みましたから、金長は遥かに下[さが]って両手を支[つか]へ 金長「これはこれは御使者として御入来[ごじゅらい]、御苦労にございます、して▼何等[なんら]の義でございます 使者「去れば拙者[それがし]これへ罷[まか]り越したるは他の義にあらず、主君六右衛門公には何か急に▼其の許[もと]へ申し渡したい義が之[これ]にあるに就[つ]き、早速お目通りをせよと云ふ仰せでござる、よって只今より穴観音へ御出頭に預かりたい 金長「これはこれは何事かは存じませんが、此の金長に御用とな、委細[ゐさい]承知仕[つかまつ]りました、それでは直[すぐ]に罷[まか]り出[い]でまする、何[ど]うか御使者には一足[ひとあし]先へお帰りの上、主君へ其の由[よし]を仰せ下されまするやう 使者「それでは必ず早く参りませう」 と大手を振って其の侭[まま]使者は立帰[たちかへ]って了[しま]ひました、
後にて主従顔を見合せ 金長「なう鷹、何であらう今時分[いまじぶん]に用事とは…… 鷹「左様でございます、或[あるひ]は貴方へ向けて授官の沙汰ではございませんか 金長「サァ或[あるひ]は左様な事かも知れぬ、マァ兎[と]も角[かく]も一応参って見やう 鷹「然[しか]らば御主君大事の前でございますから必ず御油断遊ばしてはなりませんぞ 金長「ヤ如何[いか]にも其の儀は承知致して居[を]る」 茲[ここ]で▼衣類を改めまして早速鷹に別れを告げ、夜中[やちう]とは言へど取敢へず一匹の豆狸[まめだ]に提灯[ちゃうちん]を持たせまして、道を照[てら]させ歩いて参りました、直様[すぐさま]穴観音の六右衛門の館[やかた]へ参りますとお目通りの義を願ふことになりました、六右衛門は待ち設けて居りましたることでございますから金長が来[きた]ったと言ふのを聞いて直様[すぐさま]自分の居間へ通すことになりました、
程なく▼これへ入[い]り来[きた]りまして、六右衛門の前にて恭[うやうや]しく両手を支[つか]へ 金長「 これは六右衛門公にございますか、何か火急の御用の由[よし]、只今は使者[つかひ]に預かりまして、金長取るものも取り敢へず、斯[か]く罷[まか]り出[い]でましたることでございます、して其の御用件の次第は▼如何[いか]なる義でございますか、仰せ聞けられますれば有難うございます 六右「サァサァ何[ど]うぞズッと遠慮なく進んで下さい、今宵[こよひ]は何だか斯[か]う寒気が催[もよほ]して、それゆゑ遂[つひ]、お前を招く迄[まで]の間[あひだ]不精[ぶしゃう]をして居[を]ったやうな次第である、斯様[かやう]な姿を致して甚だ失礼ぢゃが免[ゆる]して呉れ 金長「何[ど]う仕[つかまつ]りまして、何[ど]うぞ其の侭[まま]御遠慮なくお床[とこ]にお出[いで]を願ひたうございます、して私[わたくし]への御用と仰しゃるのは…… 六右「外[ほか]でもないがな、お前も知っての通り私[わし]は最[も]う追々[おひおひ]年を取る、遂[つひ]愚痴になり易いもので、マァこれからは何時[なんどき]が知れぬと思ふ、畢竟[ひっきゃう]ずる私[わし]の眼の黒い中[うち]は、何[いづ]れも私[わし]を慕ひ居[を]るであらうけれども、今にも私[わし]が▼眼を永眠[ねむ]る時は何分▼忰[せがれ]と言っても未だ一向[いっかう]年も行かぬ、殊[こと]に屋島の方へ修行にやってあるから何[ど]うもこれとても頼りないものである、其処で私[わし]の考へにはマァ姉の小芝である、彼[あれ]は最[も]う年頃になって居[を]るから彼[あ]れに然[しか]るべく婿を取って、一日も早く初孫[うひまご]の顔でも見て老[おい]を養[やしな]はうと云ふ私の考へ、所が何[ど]う見渡しても私[わし]がこれと云ふ適当の者が一向見当らぬ、然[しか]るに御身[おんみ]なれば我が▼跡目[あとめ]も大丈夫であらうと相心得[あひこころえ]る、御身には必ず正一位を授けるが、▼去る代[かは]り金長殿何[なん]と不束[ふつつか]ではあるが、娘の小芝を妻にして我[わが]後継[あとしま]をお前が相続しては下さらぬか、御身にこれを任しさへすれば、もう私[わし]も大丈夫と思ふ、大きに安心が出来るやうなことである、で此[こ]の館[やかた]を相続をして、茲[ここ]に足を留[と]めて呉れることは出来ぬものであらうか何[ど]うぢゃ、豈夫[よもや]違背[ゐはい]はあるまい、返答さっしゃい金長殿」 と▼十のものは十二までは此の義に就[つい]ては否[いな]やはないであらう、と云ふのは此の四国の総大将の後継[あとしき]を受けるのでございます、思ひ掛けなき六右衛門の言葉に、ハッと流石[さしも]の金長も当惑を致しました、此方[こなた]は何の気も付かず 六右「アァ私[わし]も畢竟[ひっきゃう]四国の総大将とは言へ油断は出来ぬぢゃて、此の▼北方[きたがた]には▼宅右衛門[たくゑもん]と言ふ奴もあれば、又其の外[ほか]に▼高島の当千坊[たうせんぼう]の▼余類もあり、又▼徳島には彼[か]の有名な▼庚申の新八[かうしんのしんぱち]、臨光寺[りんかうじ]の松の木の▼お松、女狸[めだぬき]ながらもこれとて油断はならぬ、其の外[ほか]▼南には▼田の浦の太左衛門[たのうらのたざゑもん]、又は▼地獄橋の衛門三郎[ぢごくばしのゑもんさぶらう]、却々[なかなか]油断のならぬ奴等[やつら]である、茲[ここ]で御身[おんみ]をさへ婿にして置けば私[わし]の手許[てもと]は大磐石の如くに相成る、よって御身にこれを頼む、何と金長殿、此の穴観音の館[やかた]を一ッ引受けて御身が跡を継いで呉れることは出来まいか、娘も御身を懇望して居[を]るのであるから、最早[もはや]此の義は異変はあるまい、何[ど]うぢゃな金長、返事をさっしゃい」
先の程から差伏向[さしうつむ]いて両眼[りょうがん]を閉ぢて考へて居[を]りましたが、▼漸[やうや]う此の時六右衛門に向[むか]ひまして 金長「エェ何事やらんと心得ましたる所、斯[こ]は有難き所の仰せ、何分私等[わたくしら]如きものが当お館[やかた]の跡目相続を引受けよと仰せられまするは身に余る大慶に存じますれど、未[ま]だ未[ま]だ私[わたくし]は修行の道が足りませぬものでございます、若[も]しも身の程を顧[かへり]みずして、万一当お館へでも留[とど]まると言ふやうなことになりますると、君には数多[あまた]の御眷属がある、▼数千[すせん]の狸党[りたう]何で私[わたくし]如きものに従ひませうや、此の義ばかりは平[ひら]に御容赦の程を願ひたうございます、他の者を以[もっ]て仰せ付けられたうございます 六右「これこれ金長、他の者に申し付ける位なら、態々[わざわざ]夜中[やちう]斯[か]うして御身を呼び寄せて、私[わし]が口から直々[ぢきぢき]此のやうなことは頼みはせぬ、それとも御身は此の館を引受けると言ふのは気に叶[い]らぬのか 金長「何[ど]う致しまして、決して左様なことはございません 六右「そんなら何で謝絶[ことわり]を言はっしゃる、但[ただ]しは小芝が御身気に入らぬのか 金長「全く以[も]ちまして 六右「それならば何で異議を称[とな]へさっしゃる、サァ返答さっしゃい」 茲[ここ]に於きまして金長も偽[いつ]はると言ふ訳にもなりませんから 金長「恐れながら申し上げます、身不肖なる私[わたくし]に姫君までも下し置かれ、此のお館を相続致せよとの仰せを背きますると言ふのは、何か外[ほか]に▼謀反[むほん]の企[くはだ]てでもあってのことと思[おぼ]し召すでもござりませうが、決して左様なことではございません、私[わたくし]は予[かね]て日開野[ひかいの]大和屋茂右衛門[やまとやもゑもん]と言ふ人に大恩を蒙[かうむ]りましたものでございます、それは先生も御存知の通り先年[せんねん]彼[か]の南方[みなみがた]に大洪水のありました節[せつ]、我が多くの眷属は▼自分の穴は水に浸[ひた]され殊[こと]に己[おの]れは古巣に棲息[すまゐ]をすることもならず、各自[めいめい]山手[やまて]にこれを避[さ]け、先[ま]づ第一に▼糧食[ひゃうらう]に差閊[さしつか]へまして、数多[あまた]難渋いたしましたこれを救はんが為に私[わたくし]の棲息[すまゐ]を致して居りまする鎮守の森に是等[これら]の者を引取りました、所が却々[なかなか]数多き眷族共のことでありますから、此等の者を棲[すま]はせるに困りまして何処[どこ]か適当な所をと心得まして、同じ日開野の中[うち]で▼染物渡世を致して居りまする大和屋茂右衛門と言ふ大家[たいけ]、其の裏の土蔵の奥に一ッの穴あり、これ屈強の我々の棲家[すみか]と心得まして、最初は無断に一時[いちじ]其等[それら]の者を助けんが為に、其の穴を以て仮の棲所[すまゐ]を致しました、それをば図[はか]らず其の家[や]の職人の為に見付けられ、既に其の穴へ沸湯[にへゆ]でも注込まんと云ふ、眷族共の命にも拘[かか]はらんとしたる所、主人茂右衛門と言へる人[ひと]至って情け深い人でございまして、これ却[かへ]って家の繁昌する原因[もとゐ]、茲[ここ]来[きた]って古狸[こり]は棲居[すまゐ]をするのも何かの因縁、其のやうなことをするな、と種々様々なる食物を給与[あてが]はれまして、我が眷族共は死を免[まぬ]がれました、其の大恩[たいおん]身に滲々[しみじみ]と私[わたくし]は有難く心得ました、万分が一の▼御恩報じと相心得[あひこころえ]て居ります所から▼店の職人の姿を借り、其の染物屋の染物の生計[なりはひ]の手伝ひ等も致し働[はた]らきましたる所、益々[ますます]主人は喜びまして、立派な一ッの祠[ほこら]を建てて呉れましたのでございます、私も其の御主人に対しての御恩報じと心得、大和屋様の家を守護いたすことになりました、所が未[いま]だ無官のことでございますから、▼無官の我[われ]がお宮を建[た]って棲息[すまゐ]を致すと云ふのは、六右衛門公に対して恐れあり、依って▼何卒[なにとぞ]致して官位を授かり、其の上[うへ]▼正一位稲荷大明神となりまして彼[か]の日開野へ立帰[たちかへ]りまする故郷への晴[はれ]一ッは大和屋茂右衛門様への御恩報じ、先般[せんぱん]お暇[いとま]を貰ひまして当地へ修行に参ったのでございます、それで私の望みは故郷へ帰りましたれば、大和屋様のお家を守護いたしたいのが望みでございます、それ故[ゆゑ]一時も怠[おこた]らず今日[こんにち]まで修行を致して居りました、金長が心の中[うち]お察し下し置かれまして、何卒[なにとぞ]▼賜暇[しか]の義を願はしく存じ奉[たてまつ]ります、又当四国での総大将津田浦穴観音の婿君[むこぎみ]となるものは幾らでもありませうで其の義は▼余人に仰せ付けられまして何卒[なにとぞ]授官の義を願はしく、此の義[ぎ]只管[ひたすら]お頼み申し上げます」 と誠心[せいしん]面[おもて]に表はれて金長の述べましたる時は、流石[さしも]の六右衛門もハッとばかりに力を落[おと]しまして、暫時[しばし]の間は 六右「ムムン……」とばかり唸[うな]り始めましたが、此奴[こいつ]乃公[おれ]の言葉に従はぬ奴と、遂[つひ]には六右衛門▼天稟[もちまへ]の本性を顕はして茲[ここ]に金長を敵に廻[まは]さんければならぬやうなことの立至[たちいた]って参るのでございます、チョッと一息[ひといき]入れまして。