津田浦大決戦(つだうらだいけっせん)第七回

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第七回

さても日開野[ひがいの]方に於きましては、穴観音の搦手[からめて]より攻め掛ったる今日[こんにち]の戦闘[たたかひ]、味方は小勢といへども、敵の十分油断のところへ彼[か]の津田山より撃ち下[おろ]したのでございます、依ってそれが為に敵は不意を撃たれましたることでありまして、すでにこの城も落ちんと致しました、殊[こと]に六右衛門の片腕たる川島作右衛門は遂に鷹兄弟の為[た]めに討死[うちじに]を為[な]し、六右衛門は熊鷹のために追詰められましたが、勝手知ったる六右衛門、彼[か]の森の中[うち]に迯[に]げ込んで了[しま]ひ、その行方を見失ひました、依って熊鷹は残念ながら六右衛門を討ち漏らすと云ふことに相成りました、ところが此処は穽[おとしあな]に等しいところでございまして、多くの小狸奴[め]が八方から石を取って投げ付ける、此の森の中[うち]へ這入[はい]るが最後中々容易に出ることは能[あた]ひません、是に於て熊鷹も覚悟を定めました「さては我[われ]敵の計略に陥[おちい]って、斯[かか]る穽[おとしあな]に陥ったるは残念なことである」 と思ひましたが、併[しか]し亡父[ちち]の仇敵[かたき]は討ち取った、最早此の世に用事はない、名もなき小狸の為[た]めに我一命を棄てるは心外であると、名誉を重んずるところの熊鷹でございますから、遂に彼は数ヶ所の手傷を蒙[かうむ]りまして、茲[ここ]に舌を咬[く]ひ切って相果てましたることでございます、

▼この城…津田の穴観音にある六右衛門の城。
▼川島作右衛門…六右衛門の四天王のひとり。
▼鷹兄弟…藤の樹寺の鷹の子供、小鷹と熊鷹の兄弟狸。

ところが誰云ふとなく今日[こんにち]の戦ひに六右衛門は全く取迯がして先陣の大将熊鷹は戦死を遂げたと云ふ風説[うはさ]でございますから、兄の小鷹はこの事を聞きますと、大いに驚いた 小鷹さては舎弟[おとうと]狸は戦死をなしたるか、最早是れまでなり」 と其身も覚悟をいたしました、亡父[おや]の敵[かたき]は討ち取ったことであるから、我もこの世に思ひ残すことは更に無い、舎弟の後を慕ひ、物の見事に戦死をなさんと決心をいたし、其の身は大胆にも穴観音の城内へ斬り入[い]るといふ有様でございまして、いまドシドシ駈け出さんとする時 「アイヤ小鷹待った、逸失[はやま]っては相成らぬよ」 と馬を此方[こなた]に進ませる者がありますから、小鷹は振回[ふりかへ]って見てあれば、是れぞ大将金長でございますから 小鷹オォ金長公には何故[なにゆゑ]お止[とど]めに相成った 金長待たっしゃい、御身[おんみ]今より乗り出[いだ]さんと云ふのは、定めて穴観音の城中に斬り入[い]り、舎弟の吊戦[ともらひ]を致さうと云ふ心算[つもり]であらうが、それは可[い]けない止しなさい 小鷹イヤ大将の仰せではございますが、此の場に臨[のぞ]んで止[とど]まる場合でない、我も舎弟の後を慕ひ花々しく討死をいたして相果てん心底 金長イヤイヤ御身の逸失[はやま]るのは無理はない、なれど小鷹、我れ御身に一つの頼みあり、這回[このたび]南方[みなみがた]の方々一同我れに加勢は下[くだ]し置かるるといへど、目指す相手は四国の総大将にして、迚[とて]も小勢を以[もっ]て大勢に当る此方[このはう]の大胆、素[もと]より我は始終は討死と覚悟をいたし居る、併[しか]し我れ万一討死をいたしたる時は、今跡を継いで呉れるものは、先づ見渡したところでは御身より他にはない、依って御身は成るべく一命[いのち]を全ういたし、我が跡を襲[つ]ぎ、我等[われら]が受けたる大和屋茂右衛門[やまとやもゑもん]様の恩義に報[むく]いんが為[た]め、彼[か]家を守護いたし呉るるやう、金長が此の通り只管[ひたすら]お願ひ申す、聞き入れて呉れたまへ」 と云ふので、段々と語[ことば]を尽し茲[ここ]に小鷹の死を止[とど]めたることでございますから 小鷹[しか]らば私今日名誉の戦死を遂げることは出来ませんか 金長サァ夫[そ]れに就[つ]いて御身に対して申入れることがあるから、マァ此方[こちら]へ来たまへ」 とやうやう危[あやぶ]い敵地を遁[のが]れまして金長は引揚げると云ふことに相成りました、是れに依って小鷹も漸[やうや]う承知をいたし、さて金長の計略を承はると云ふことになりますけれども今日[けふ]の戦争[たたかひ]は非常に激しいことでありまして、津田の浜辺とこの穴観音の搦手と双方にての奮戦ゆゑ、敵も味方も多く疲れ又討死に及んだものも非常に沢山[たくさん]出来ましたのでございます、依って遂に浜辺の戦争[たたかひ]は双方中止と云ふことに相成りました、

▼後を慕ひ…あとを追って。
▼大和屋茂右衛門…金長の世話をしてくれた恩人の染物屋さん。大和屋の人間たちに恩返しをするのが金長ののぞみ。
▼名誉の戦死…このあたりの単語は軍談というより明治調が入ってるようです。

[ここ]に至って津田の浜辺で戦ひました津田方は散乱して逃げ出す、此の虚[きょ]に乗じて穴観音の本城を乗取らんと云ふので日開野方に於ては大手の方へ押寄せました、此の手は田の浦太左衛門が引受けまして、この手に従ふ銘々は、庚申[かうしん]の新八、臨江寺[りんこうじ]のお松、寺町の赤門狸、或は帽子狸でございます、円福[ゑんぷく]、地蔵狸を首[はじ]めといたして、その勢[ぜい][およ]そ七百ばかりと云ふもの茲[ここ]に備へを立てると云ふことに相成りました、さて穴観音の搦手は大将金長彼[か]の小鷹を伴[つ]れまして、此の手に加はる面々は彼[か]の地獄橋の衛門三郎、火の玉、金の鶏[にはとり]を首[はじ]めとして三百足らずの小勢といへども、先づ茲[ここ]に一日休息をいたし明日[あす]の夜は必ず城内へ攻め入[い]らんといふ手配りでございます、

▼大手…津田の穴観音にある六右衛門の城の正面側。
▼此の手…この軍勢。

大体この穴観音と云ふ所には、一宇[ひとつ]の観音様のお堂がございまして、この観世音[くわんぜおん]が一年[あるとし]大層流行いたしたことがございます、是れ此処に棲むこの六右衛門狸と云ふものが流行らせたのださうで、このお堂の横手に大なる穴がございましてこの穴は何[ど]の位[くら]ゐ奥行があるか分らぬと云ふ程の深い穴でございます、此処を六右衛門狸が棲居[すまゐ]といたしたのでございますですから、狸仲間の方では穴観音の本城といたして、余程要害堅固にて大手搦手ともに厳重に此処を固めをいたして了[しま]ひまして、中々容易にこの門の内に這入[はい]ることは出来ません、六右衛門に於ては十分に戦ひをいたし、又四天王の輩[てあひ]も多く討死をいたしました、その他小狸共も余程討死を遂げたのでございます、ところが六右衛門は熊鷹に追ひ詰められまして怪しげなる森の中[うち]に迯げ込んでそれ限[き]り姿の知れぬと云ふのは、恰[まる]幸村[ゆきむら]抜穴ではありませんが、この森の中[うち]に他の狸輩[やから]の気の付かぬところに怪しい穴が掘ってございまして、その穴から城内へ対して逃げ帰るのでございます、是れ今云って見れば隧道[とんねる]やうなもので、六右衛門が多年の間工夫の上に工夫をいたして、他[た]の者に気の付かぬやうに茲[ここ]に秘密の穴を拵[こしら]へてあるのでございます、ですから己[おの]れが敵はぬ時にはこの穴から逃げ込んで了[しま]ふ、這回[このたび]もこの穴より城内へ逃げ込みました、その後[のち]城外へ出やうと云ふ場合には密かに此の抜穴から出で又入ると云ふ、これが為[た]めに寄手[よせて]の輩[てあひ]は何[ど]うも不利益なること夥[おびただ]しいのでございます、

▼観世音…観世音菩薩。
▼流行…流行り神として信仰が過熱すること。特定のご利益などから急にある寺社やほこらへの参詣人が増したりする現象はときどき各地に見られました。
▼固め…厳重にまもりをかためてる。
▼幸村…真田幸村。
▼抜穴…大坂城にあったというお城からぬけだせるためのひみつのぬけ穴。

殊に大手搦手ともに門は中々厳重なことでありまして、さて翌晩に相成りまして大手よりは太左衛門、搦手よりは金長の同勢が押寄せまして、何んでもこの城を打潰[ぶっつぶ]して呉れんと云ふので掛って見ましたが、容易なことでは落ちません、寄手[よせて]がこの門際[もんぎは]まで攻め寄って参りますると、城内の奴等[やつら]は城の高塀[たかへい]に現れ出[い]でまして、用意の小石を取って寄手の同勢の頭上より雨霰[あめあられ]の如くドシドシ打ち出[い]だすと云ふ、何しろ高いところから狙ひ撃ちと云ふ奴でございます、寄手は心は急激[やたけ]に逸[はや]るといへども、門の際[きは]まで近寄ることも出来ないと云ふ有様で、大きに攻め倦[あぐ]み中々落ちる容子[ようす]はありません、之[こ]れを無謀にも攻め立てる時は味方に多くの討死が出来ると云ふやうなことでございます、依って寄手の輩[てあひ]は二日三日は攻めて見ましたが、中々何うしても城内へ進み入[い]ることは出来ません、

▼高塀…お城にあるような背の高い塀。

田の浦太左衛門も大きに困りまして、搦手の容子[ようす]は如何[いかが]であると聞き合はして見ると、是れとても矢張り同じことでございまして全く城内に入[い]ることは出来ませぬのでございます、と云ってこの門を何[いづ]れからか取付いて上[あが]ると云ふ足場もなし、纔[わづか]に足場を拵[こしら]へて上[あが]らうとすれば上から石を打付[ぶっつ]けられます、様々に味方は不利益なところを忍んで日々[にちにち]苦戦に及びましたが、何うしても其の目的を達することが出来ません、大将金長も誠に無念に思ひました、なれども無謀の戦争[いくさ]と云ふものは出来ませんから、今は大手搦手ともに夫[そ]れ夫[ぞ]れ手配[てくばり]をいたして守らせ、大将分は何[いづ]れも引上げまして先づ彼[か]の津田山に在る一つの要害の砦[とりで]、これは其の以前鹿の子[かのこ]と云へる者が棲居[すみか]をいたして居りましたので、これへ対して引上げ、此処を根城[ねじろ]といたして日開野方は先づ長陣[ちゃうぢん]を張ると云ふことに相成りましたのでございます、尤[もっと]も鹿の子の妻も金長に加はって居りますから、金長が此処へ参ったのは小鹿の子[こがのこ]の身に取って見ると広大なる味方を得たので悦[よろこ]んで働いて居ります、

▼大将分…狸たちをひきいてゆく武将格のものたち。

さて一同は此処に集って日々[にちにち]軍議評定をいたすと云ふことに相成りました、金長は彼[か]の六右衛門に夜撃[ようち]をかけられました時の負傷、又這回[このたび]の戦ひ中にも多少の傷を受けましたことゆえ自分の命も大切でございますから、この手傷の養生をすると云ふことになりました、小鹿の子も側[そば]より 小鹿先づ御大将もお心も急[せ]きますでございませうが、何分お体も御大切でございます、兎も角も手傷の養生を遊ばせ」 と云ふので、そこで仲間狸のうちから医術に長けましたものを呼び寄せることになりまして、先づ大将金長の手傷の治療をすると云ふので、其者等[そのものら]が来[きた]って日々[にちにち]にその傷口をペロペロ舐[な]めるのでございます、大分[おほかた]然うであらうと伯龍[わたくし]も想像するのであります、中々この獣物[けもの]の舌と云ふものは余程薬になりまするものださうで舐めて置いて繃帯[ほうたい]をいたして傷口を癒えさす、日々[にちにち]この手当をいたし居りますが、何分金長は恐[ひど]い負傷であるが耐忍[がまん]をして居ったのでございます、

▼医術に長けましたもの…化け術や軍略にひいでた狸がいるいっぽう、医術にくわしい狸というのもなかにはいるらしいですナ。(ただし、治癒の方法はやはり、ペロペロなめる――のようです)

今日しも自分の本陣へ彼[か]の田の浦の太座衛門を首[はじ]めとして大勢のものを集めまして評定に及びました  [ど]うも流石[さすが]は四国の総大将の城だけあって、多年工夫に及んで築き上げた穴観音の城郭、要害堅固にして容易に落すことが出来ない、殊に大手搦手とも其[その]門は石門[せきもん]にも等しくなかなか我々十頭[ぴき]や二十頭[ぴき]集ったところが到底破ることは思ひも寄らぬ、依[よっ]てこれは一つ、日開野方が是れまで押寄せて参ったが迚[とて]も攻めることは駄目と観念をいたして、一度[ひとたび]は皆々八方へ離散をして了[しま]ったと、斯う云ふ体裁にして置いて、誰か味方のうちから十分に事に熟[な]れたるものを間者[かんじゃ]といたして彼[か]の城内へ入り込[こま]した上、俄[にはか]に火を放[つ]けるとか、或は大将の側に近寄って刺し違へて相果てるとか、非常手段を用ゐぬことには、此侭[このまま]に我々睨[にら]んで居たところが、力攻めは思ひもよらぬことである、依って先づこれが近道のやうに心得るが、各々方[おのおのがた]は如何思はっしゃる ヤッそれは上分別、何か城内にて一つの変を生じたら、其の虚に乗じて一時にドッと大手搦手より起[おこ]って攻め入[い]るより他に致方[いたしかた]がない、何んと味方のうちにて誰か一命を棄てて穴観音の城内に入[い]り込んで、事を挙げようと云ふ方はないか」 この一言を承った時は互[たがひ]に皆々頭分[かしらぶん]の輩[てあひ]は顔と顔とを見合せ、有理[もっとも]であるとは心得まするが、誰進んで乗り込まうと云ふものもない、すると此の折[をり]小鷹は 「恐れながら一同の方々に申入れます私[わたくし]は過日穴観音の搦手の森に於ての戦ひ、目指すところの川島作右衛門は討ち取りました、併[しか]し我が弟熊鷹に於ては、敵の計略に陥[おちい]って、彼の穽[おとしあな]の計略に罠[かか]り、彼は無念の戦死を遂げました、其の時この小鷹に於ては、我が弟の仇敵[かたき]なり、一頭[ぴき]なりとも多く穴観音の奴等[やつら]を討ち取って吾は名誉の戦死をなさんと、彼[か]の城内へ乗り込まうとしたくらゐであります、然[しか]るに金長殿に止[とど]められ、惜[を]しからぬ一命を今日[こんにち]まで存[ながら]へて居りました、依って願はくば何[ど]うぞ私にこの間者の役仰付けられませうなれば、素[もと]より一命は投げ棄てまして、屹度[きっと]この役目は勤めることでございますから、何[ど]うか私に仰付けらるるやう願ひます」 と思ひ込んで願ひ出[い]でました、

▼間者…しのび。間諜。スパイ。
▼力攻め…ちからで押し通しちゃう攻め方。ごり押し。

金長はこれを承って大きに感じ入り、 金長アァ何[ど]うもお手前親子の誠忠[せいちう]、この金長を助けて親の鷹なり舎弟の熊鷹は一命をお棄て置き下された、御身等[おんみら]親子の方々は我が為[た]めには実に無くてかなはぬ方々である、殊に御身は若年のこと、過日も彼[あ]れ程お頼み申した通り、この度[たび]の戦ひこそ我れは討死すべき決心は素[もと]より付けて居る、依って過日[くわじつ]日開野を押出す時、生きて再び我が古巣には帰るまいと決心を致したる身の上であるから、何うか御身は後に存[なが]らへて我が亡き跡に於ては相続[あとつぎ]をお願ひ申すと彼[か]れほど呉々[くれぐれ]もお頼み申したではないか、依[よっ]て御身は死を止[とど]まった、然[しか]るに今又左様な事を申出て、穴観音の城内へ対して乗り込まうと云ふのは何事であるか、志[こころざし]は有難く心得るが、何うかそれよりは後に存[なが]らへて吾れ亡き跡は二代目日開野金長となって、部下の眷属を引立てて呉れらるるやう、二つには予[かね]て頼み置いたる大和屋様の家の繁昌を守り下さるやう」 と切なる金長の言葉に、小鷹は歯を咬緊[くひしば]って差俯向[さしうつむ]き 小鷹それでは私この役目を勤めることは出来ませんか 金長何うかお手前はお止[とど]まり下さい、併[しか]しこの穴観音城内に乗込む者は余程器量ある方でないと難かしいが、誰方[どなた]かお決行[やり]下さることは出来ますまいか」 この時座の中央から進み出でたる一頭[ぴき] 「アイヤ金長どの、穴観音の城内へ乗り込んで敵の挙動を計り、機会[あは]好くば大将六右衛門の首級[くび]を揚げて御覧に入れる、何卒[なにとぞ]拙者[それがし]にこの役目仰付けられませうなれば有難いことであります」 とあるこれ、別狸ならず這回[こんかい]の戦争[たたかひ]に就[つ]いて加勢に参った一頭[ぴき]、彼[か]の庚申の新八と云へるものでございます、

▼古巣…日開野の森や大和屋。
▼器量ある…能力や才覚のある。

一同はそれを見て驚きましたが 金長[しか]らば新八殿、お手前がお勤め下さるか 新八如何にも、敵将六右衛門に奈何[いか]なる器量があらうとも、多寡の知れたる老耄狸[おいぼれだぬき]、何条何程のことやあらん、拙者[それがし]乗り込んで参って屹度[きっと]城内の容子[ようす]を計って、必らず味方の方々を城内へ手引[てびき]をいたして御覧に入れる 金長ヤッ誠に以[も]ちまして其[そ]は有難いことにございます、併[しか]し彼れ容易には入城を許さぬことと思ひまするが、御身如何なる工夫をもってお入りに相成るや 新八されば、その儀は我れ一つの計略があります、素[もと]より拙者[それがし]乗り込む時は、彼れ六右衛門の家来となって、十分彼の油断を見澄まして討ち取り呉れんと云ふ考えでござるが、悲しいことに我れ穴観音の城内の容子[ようす]を知らず、定めて城内は立派なことでございませうな 金長それは如何にも城内は立派にいたして広いものであります、私昨年以来日々城内に在って内部[うち]の容子[ようす]を委しく調べました、先づ大広間あり、表書院あり、又奥の間も六右衛門の居間と小芝姫の居間とは余程間[あひだ]が離れて居ります、尤[もっと]も御殿の外は一同家中屋敷[かちうやしき]にいたして、何[いづ]れも軒を並べ実に人間の大名の御城郭にも優[まさ]ると思ふ位[くら]ゐの結構でございます、以前拙者修行の際心覚えに認[したた]め置いた、これを御覧あれ」 と一枚の図面をそれへ取り出しました、進み寄ったる庚申の新八 「成程聞きしに優[まさ]った穴観音の城中、アァ実に広大なものであります」 少時[しばらく]の間眺めて居りましたが 新八さては我れ一頭[ぴき]ぐらゐで首尾好く忍び込んだところで、到底奴等[やつら]一同を逐[お]ひ出すと云ふことは難かしい、就[つい]ては我れ一命を棄てて掛[かか]る時は事[こと]成就せんこともあるまい、今より誰か一頭[ぴき]事に馴れたる者が人間に化けて徳島の城下に至り、唐芥子[たうがらし]の粉[こ]煙硝[えんせう]を調[ととの]へて頂きたい、さすればこの品々を混合いたし一つの投玉[なげだま]に等しいものを拵[こしら]へて秘密に持[もっ]て参り、我れ敵はぬ時は城内に於て之[こ]れを打[ぶ]っ付けて彼の城を焼き撃ちにして御覧に入れる、併[しか]しそれは余程の非常手段、この爆烈玉[ばくれつだま]を用ゐる時は拙者も一命はないが、そは素[もと]よりの覚悟であります、何んと誰かこの買物に行って来ては下さらぬか

▼小芝姫…六右衛門のむすめ。
▼家中屋敷…家来たちの屋敷。六右衛門の城の描写は、立派な城の周囲に家来の屋敷のある曲輪などもある設計のようで、高塀で囲まれた前後の門(大手門と搦手門)なども含めてかなり大規模なものとして描かれてます。
▼大名…おとのさま。
▼結構…つくり、かまえ。
▼唐芥子の粉…とうがらしの粉。とうがらしを粉末状にしたもの、これや松の葉をもくもくといぶした煙は、狐狸や憑き物などに対しての責め苦としてよくはなしにも出て来るもの。
▼煙硝…火薬の材料。
▼爆烈玉…ばくだん。

金長何んと云はれる新八どの、御身敵城へ乗込んで、爆烈薬を以て穴観音の城内を焼き撃ちにし、唐芥子を燻[くす]べて一同を逐[お]ひ出す、ムムゥそは実に危険な次第であります 新八[もと]より拙者[それがし]一旦御味方を致す上からは、一命亡きは覚悟を致し居る、何分長き歳月[としつき]六右衛門の圧制に苦しめられたる四国の多くの狸党[りたう]の為[た]めに、その敵討[かたきうち]をいたして呉れん我が所存、依って早くこの品々を取寄せの程を願ひたい」 と流石[さすが]は庚申の新八、思ひ込んで申入れました、金長も思はず涙に昏[く]れまして、 金長アァ四国にも貴殿のやうな義に勇む天晴[あっぱれ]の名狸あり、然[しか]るに総大将たる六右衛門、実に匹夫[ひっぷ]に劣ったる彼が挙動[ふるまひ]、それが為[た]めに是れまで数千の我々が仲間の苦しみは如何ばかり、それを討ち取らん手段とし云ひながら可惜[あたら]勇士を討死をさせるは残念の至りなり、何[ど]うか事を挙げるの際、相成るべくなれば貴殿は一方を斬り開いて、首尾好く引揚げるるやう、願はしう存じます」 

▼爆烈薬…火薬。
▼狸党…狸たち。

[ここ]に金長と庚申の新八は相談を遂げまして、何[いづ]れも其夜は金長の許[もと]を退[さが]ることになりましたが、さて翌日となりますと、金長は早速部下の狸のうち、日来[ひごろ]化けるのに妙を得て居りまかる者を呼び出しまして 金長何んと大儀ではあるが、人間と相成って徳島の町へ乗込んで、唐芥子と煙硝を購[もと]めて来て呉れるよう」 と下知に及びました ヤッ宜[よろ]しうございます、それでは御大将、私が行って参りませう」 と此奴[こいつ]は変化[へんげ]の術に妙得て居りまかすら、忽[たちま]ち姿を変へまして、一寸[ちょっ]とした旅商人[たびあきうど]と云ふやうな風体でございまして、そこで足拵[あごしら]へも厳重にいたして、小風呂敷を携[たづさ]へ、大胆にもブラブラ徳島の町へやって参りましたが、彼方此方[あちらこちら]乾物屋[かんぶつや]でございますの八百屋[やおや]と云ふやうな店に立寄りまして 今日[こんにち]は貴方に唐芥子の粉[こ]はございますか アァあります、沢山[たん]ともないが一寸[ちょっと]五合ほどある、何にするのだえ、 ヘェ私の領分の山に狸が棲んで居りまして、何うも人を悩まして困りますので、その棲んでゐる穴を見付けました、それで唐芥子を燻[くす]べ立てて遣[や]らうと思ひまして アァ然[さ]うですか、ぢゃァ五合ばかりではいけまい、私等[わたしら]の同商売の者に話をして調[ととの]へて上げやう」 と云ふので、彼店此店[あちらこちら]から三合又は五合と唐芥子又は鷹の爪[たかのつめ]と云ふやうなものを多く集めて貰ひました、そこでこいつを風呂敷に包み払った紙銭[ぜに]例の木の葉、これから竹屋へ参って[ふし]から節までの竹を切って貰ひ、何[ど]う云ふ工合[ぐあひ]に欺[あざむ]いたか、花火屋にて煙硝を買ひ取りこの竹の筒に入れまして、使ひが済むと早速津田山へ立帰って参りました

▼足拵へ…足まわりの装備。旅の商人に化けたわけなので、はだしや下駄ばきだけではソレらしくないので、わらじや脚絆などをしっかり装備したワケ。
▼乾物屋…干物などをおもにあつかっているお店。粉類などもあつかってる。
▼八百屋…おもに野菜をあつかってますが、とうがらしの粉をあつかったりもしてました。
▼領分…くに。
▼例の木の葉…葉っぱをおかねに見せて、無銭で商品を買っていってしまうおなじみの化け術。
▼竹屋…いろいろな種類の竹を販売しているお店。
▼節から節までの竹…上と下に節の部分がついてて、容器として使える竹。

使[つかひ]の狸よりこの品々を大将金長に差出した、金長は、こを庚申の新八へ渡す、すると新八はこの品々をもって爆烈弾のやうなものを拵[こしら]へまして、大胆にも一つ事が間違ったら十分に働いた上にてこれを打付け爆発をさして、其身[そのみ]は其の場で討死をする心算[つもり]でございます、何分大将六右衛門の一命を致すに就ては、茲[ここ]に一つ大いに注意せねばならぬことがあります、と云ふのはこの六右衛門は斯[か]く総大将となって威張って居りますのは、此奴[こやつ]が大切にして持って居る魍魎[もうりゃう]の一巻と云ふものがあるからで、是れには変化の術を認[したた]めてありまして、昔時[むかし]の軍人なれば彼の六韜三略[りくたふさんりゃく]虎の巻と云ふやうなものであります、狐狸[きつねたぬき]は人を化かすものだからと云って、然[さ]何狐[どいつ]も此狐[こいつ]も化かせるものではない、この化けると云ふに就いては、夫[そ]れ夫[ぞ]れ修行も要れば又奥儀[おくぎ]も極[きは]めんければならぬものと見えます、中には化け損じて人間に見付けられ酷い目に遭ふこともあります、依ってこの総大将の許[もと]へ修行ら参ってそれぞれ変化の術を学ぶのでございます、総大将などとなりますと巧く変化[ばけ]ることを十分熟練せんければならぬ、それにはこの魍魎の一巻と云ふものがあって、それぞれ化け方の奥儀が記してあるものと見えます、穴観音の六右衛門は先祖よりこの魍魎の一巻と云ふものを伝はって持って居りますから、他の狸党の者共も頭を下げ総大将と尊敬するのであります、依って新八が穴観音に首尾好く乗込んで参れば、六右衛門を討ち取るまでにこの魍魎の一巻を紛失させる時はそれこそ大変、そこで新八がこの大役を態々[わざわざ]申出[い]で、万一の事あれば其身は城内に於て討死をすると云ふ決心にて、皆の者に別れを告げいよいよ庚申の新八が是れから敵城穴観音に乗込むと云ふお話の一段、其[そ]はいつもながら一息[ひといき]御免を蒙[かうむ]りまして次回[つぎ]に。

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▼魍魎の一巻…さまざまな化け術の極意がしたためられているへんげたちの秘伝のまきもの。
▼何狐も此狐も…「何者も此者も」とあてるべき用字に狐狸を効かせているわけですが、どちらも狐になっていて、片一方を狸としたほうが良かったのではと思われる部分もあります。
▼先祖より…魍魎の一巻は、代々一族で継承がおこなわれて来たという設定のようですナ。
校註●莱莉垣桜文(2018) こっとんきゃんでい