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備後土産稲生夜話(びんごみやげいのうのよばなし)第一回


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第二回
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第六回
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第二回

去程[さるほど]に平太郎八歳の頃より手跡素読[しゅせきそとく]を学びけるに稽古より帰ると間もなく子供を集めて角力[すまう]を取り或は戦[いくさ]の真似をなして戯れければ子を見ること親にしかず此者[このもの][ゆく]すゑは天晴[あっぱれ]勇者に成[なら]んと思ひければ武左衛門善師[よきし]を撰[えら]み平太郎に武芸の道を教んと心懸[こころがけ]しに殿の師範役吉田次郎[よしだじろう]は年若ながら遖[あっ]ぱれの壮士と思ひしより終[つい]に吉田に入門[でいり]させ武道を習[ならは]せたりけるが両三年にして門下[でし]内には平太郎に及ぶ者なき程に至りし故[ゆゑ]師匠[よしだ]も大に喜びて末頼母敷[すへたのもしき]武士[もののふ]とて弥々[いよいよ]励まし教[おしへ]けり茲[ここ]に又延享三年に至り次男勝弥[かつや]出生し其後[そののち]寛延元年二月[きさらぎ]中旬[なかば]武左衛門不図病の床につき次第に重る容子[ようす]ゆへ妻は元より新八郎平太郎も倶々[ともども]に心配なして医師を招き服薬[ふくやく]介抱[かいほう][おこた]りなく種々に手当を尽せども其効[そのしるし]更になければ親族[うから]集りて只[ただ]心痛をする己[のみ]なりしか妻のお沢も夫を思ふ看護の疲れか床につき二個[ふたり]倶々[ともども]十月[かみなしづき]の初[はじめ]に果敢[あへ]なく消[きえ]て行[ゆく]露の草野[くさの]の人となりければ兄弟[けいてい]親戚[みより]泣々[なくなく]野辺の送りを済[すま]せし後[のち]平太郎は伯父[おぢ]川田茂右衛門[かはだもゑもん]を初[はじめ]として兄新八郎実父[おや]中山源七[なかやまげんしち]一同評議の上[うへ]家督は新八郎に継[つが]しめ平太郎は別家すべし去[さり]ながら未だ年若なれば暫時[しばらく]兄方に同居して一両年は暮すべし勝弥は某[それがし]が改めて養子になさんと相談[はなしを][き]め跡[あと]念懇[ねんごろ]に取片付[とりかたづけ]各々[みなみな]帰宅をなしたるか新八郎此程[このほど]より気分悪[あ]とて打臥[うちふせ]しかば平太郎も心配なし伯父[おぢ]茂右衛門に相談して中山方へ知らせければ源七も稲生の家の無人[ぶじん]を察し暫時[しばらく]拙者が預りて養生させんと云[いい]ければ茂右衛門初め平太郎も其志[そのこころざし]を厚謝[あつくしゃ]し一向[ひたすら]依頼[たのみ]て送りし後[のち]は日毎[ひごと]に平太郎兄新八郎方へ到り容子[ようす]を問[とい]て心を慰め然[しか]して家に帰れば文武を学び家来一人召仕[めしつか]留守居[るすゐ]をなしてぞ送りける

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▼手跡素読…よみかき。
▼善師…教えのよい先生。この場合は立派な武術の師範。
▼殿の師範役…藩の剣術ご指南役。
▼両三年…二、三年。
▼末頼母敷武士…未来の大出世がたのしみな武士じゃのう、ワッハッハッハ。
▼延享三年…1746年。
▼寛延元年…1748年。
▼次第に重る容子…病状がだんだん重くなってゆく様子。
▼十月…神無月。「かみなしづき」という傍訓に注意。
▼草野の人…草葉のかげの人となること。
▼野辺の送り…お葬式。
▼実父…平太郎の兄の新八郎は、稲生武左衛門が中山源七の家から迎えた養子。
▼気分悪し…気分がすぐれない。
▼中山方…中山家。新八郎の生家。
▼無人…責任者が不在。
▼留守居…るすばんをする。
校註●莱莉垣桜文(2011) こっとんきゃんでい