去程[さるほど]に平太郎八歳の頃より▼手跡素読[しゅせきそとく]を学びけるに稽古より帰ると間もなく子供を集めて角力[すまう]を取り或は戦[いくさ]の真似をなして戯れければ子を見ること親にしかず此者[このもの]往[ゆく]すゑは天晴[あっぱれ]勇者に成[なら]んと思ひければ武左衛門▼善師[よきし]を撰[えら]み平太郎に武芸の道を教んと心懸[こころがけ]しに▼殿の師範役吉田次郎[よしだじろう]は年若ながら遖[あっ]ぱれの壮士と思ひしより終[つい]に吉田に入門[でいり]させ武道を習[ならは]せたりけるが▼両三年にして門下[でし]内には平太郎に及ぶ者なき程に至りし故[ゆゑ]師匠[よしだ]も大に喜びて▼末頼母敷[すへたのもしき]武士[もののふ]とて弥々[いよいよ]励まし教[おしへ]けり茲[ここ]に又▼延享三年に至り次男勝弥[かつや]出生し其後[そののち]▼寛延元年二月[きさらぎ]中旬[なかば]武左衛門不図病の床につき▼次第に重る容子[ようす]ゆへ妻は元より新八郎平太郎も倶々[ともども]に心配なして医師を招き服薬[ふくやく]介抱[かいほう]怠[おこた]りなく種々に手当を尽せども其効[そのしるし]更になければ親族[うから]集りて只[ただ]心痛をする己[のみ]なりしか妻のお沢も夫を思ふ看護の疲れか床につき二個[ふたり]倶々[ともども]▼十月[かみなしづき]の初[はじめ]に果敢[あへ]なく消[きえ]て行[ゆく]露の▼草野[くさの]の人となりければ兄弟[けいてい]親戚[みより]泣々[なくなく]も▼野辺の送りを済[すま]せし後[のち]平太郎は伯父[おぢ]川田茂右衛門[かはだもゑもん]を初[はじめ]として兄新八郎▼実父[おや]中山源七[なかやまげんしち]一同評議の上[うへ]家督は新八郎に継[つが]しめ平太郎は別家すべし去[さり]ながら未だ年若なれば暫時[しばらく]兄方に同居して一両年は暮すべし勝弥は某[それがし]が改めて養子になさんと相談[はなしを]極[き]め跡[あと]念懇[ねんごろ]に取片付[とりかたづけ]各々[みなみな]帰宅をなしたるか新八郎此程[このほど]より▼気分悪[あ]しとて打臥[うちふせ]しかば平太郎も心配なし伯父[おぢ]茂右衛門に相談して▼中山方へ知らせければ源七も稲生の家の▼無人[ぶじん]を察し暫時[しばらく]拙者が預りて養生させんと云[いい]ければ茂右衛門初め平太郎も其志[そのこころざし]を厚謝[あつくしゃ]し一向[ひたすら]依頼[たのみ]て送りし後[のち]は日毎[ひごと]に平太郎兄新八郎方へ到り容子[ようす]を問[とい]て心を慰め然[しか]して家に帰れば文武を学び家来一人召仕[めしつか]ひ▼留守居[るすゐ]をなしてぞ送りける