閑話休題[それはさておき]単表[ここにまた]稲生の隣家[となり]へ其頃[そのころ]三つ井権八郎[みつのゐごんはちろう]と云者[いふもの]来[きた]りて住居[すまゐ]けるに此[この]権八は元[もと]▼下布努[しもふぬ]村の百姓山田権右衛門[やまだごんゑもん]の一子にして▼享保五年に出生[うまれ]▼元文元年十六才の折[おり]両親[ふたおや]に別れ叔父[おぢ]武田文右衛門[たけだぶんゑもん]に養はれしが▼人となりて農事を嫌ひ角力[すまふ]を好みければ叔父も其志[そのこころざし]を愛[めで]其意[そのい]に随[まか]せたるを権八は大に喜び大坂へ到り其頃[そのころ]関取[せきとり]某[なにがし]の弟子となり程なく▼幕の内に上達し何[いづ]れの場所にても負[まけ]を取りしことなき故[ゆへ]▼紀州公其[その]手柄[てがら]を誉め▼抱[かかへ]となし後[のち]和歌山へ随ひ行[ゆき]て長く此地[このち]に留[とどまり]り大関[おほぜき]迄に名を挙[あげ]しが如何[いか]なる▼悉細[しさい]有[あり]しか紀州を退[しりぞ]きて自己[おのれ]が故郷[ふるさと]三次郡布努村へ立帰[たちかへ]りし後[のち]叔父の家を尋[たづね]しに▼三年[みとせ]先に死去[みまかり]しとある百姓家[ひゃくせうや]で語るを聞[きき]力泣々[ちからなくなく]権八は稲生の屋敷の隣家[となりや]なる明家[あきや]を求めて住居[すまゐ]けるに人に勝[すぐ]れし力士ゆへ聞伝[ききつたへ]来て弟子に就[つく]者多く殊に安芸の広島より磯の上[いそのうへ]乱獅子[らんじし]鬼虎[おにとら]駒ヶ嶽[こまがたけ]龍ヶ鼻[りうがはな]荒磯[あらいそ]釈迦ヶ山[しゃかがやま]磯ノ海[いそのうみ]等の相撲取[すもうとり]ら皆[みな]三の井を▼尊敬[そんきゃう]して師の如くに寄集[よりつど]ひ稽古[けいこ]抔[など]始めたり左[さ]れば平太郎も角力を好みけるゆへ何時[いつし]か三の井と懇意になり▼音信[おとづれ]せざりし日[ひ]迚[とて]はなく最[いと]交際[まじはり]を厚[あつう]して益々[ますます]親[したし]み睦[むつ]みしも猛[たけ]き二人の大胆より降[ふり]かかる五月雨[さみだれ]の雨が取[とり]もつ妖怪[ようかい]を見顕[みあらは]さんと▼壮士力士が▼災ひ求める緒口[いとぐち]と知る哉[や]知らずや電妻[いなづま]の後[のち]にぞ思ひあたりける