備後土産稲生夜話(びんごみやげいのうのよばなし)第三回


第一回
第二回
第三回
第四回
第五回
第六回
第七回
第八回
第九回
第十回
第十一回
第十二回
第十三回
第十四回
第十五回
第十六回
第十七回
第十八回
第十九回
第二十回

もどる

第三回

閑話休題[それはさておき]単表[ここにまた]稲生の隣家[となり]へ其頃[そのころ]三つ井権八郎[みつのゐごんはちろう]と云者[いふもの][きた]りて住居[すまゐ]けるに此[この]権八は元[もと]下布努[しもふぬ]の百姓山田権右衛門[やまだごんゑもん]の一子にして享保五年に出生[うまれ]元文元年十六才の折[おり]両親[ふたおや]に別れ叔父[おぢ]武田文右衛門[たけだぶんゑもん]に養はれしが人となりて農事を嫌ひ角力[すまふ]を好みければ叔父も其志[そのこころざし]を愛[めで]其意[そのい]に随[まか]せたるを権八は大に喜び大坂へ到り其頃[そのころ]関取[せきとり][なにがし]の弟子となり程なく幕の内に上達し何[いづ]れの場所にても負[まけ]を取りしことなき故[ゆへ]紀州公[その]手柄[てがら]を誉め[かかへ]となし[のち]和歌山へ随ひ行[ゆき]て長く此地[このち]に留[とどまり]り大関[おほぜき]迄に名を挙[あげ]しが如何[いか]なる悉細[しさい][あり]しか紀州を退[しりぞ]きて自己[おのれ]が故郷[ふるさと]三次郡布努村へ立帰[たちかへ]りし後[のち]叔父の家を尋[たづね]しに三年[みとせ]に死去[みまかり]とある百姓家[ひゃくせうや]で語るを聞[きき]力泣々[ちからなくなく]権八は稲生の屋敷の隣家[となりや]なる明家[あきや]を求めて住居[すまゐ]けるに人に勝[すぐ]れし力士ゆへ聞伝[ききつたへ]来て弟子に就[つく]者多く殊に安芸の広島より磯の上[いそのうへ]乱獅子[らんじし]鬼虎[おにとら]駒ヶ嶽[こまがたけ]龍ヶ鼻[りうがはな]荒磯[あらいそ]釈迦ヶ山[しゃかがやま]磯ノ海[いそのうみ]等の相撲取[すもうとり]ら皆[みな]三の井を尊敬[そんきゃう]して師の如くに寄集[よりつど]ひ稽古[けいこ][など]始めたり左[さ]れば平太郎も角力を好みけるゆへ何時[いつし]か三の井と懇意になり音信[おとづれ]せざりし日[ひ][とて]はなく[いと]交際[まじはり]を厚[あつう]して益々[ますます][したし]み睦[むつ]みしも猛[たけ]き二人の大胆より降[ふり]かかる五月雨[さみだれ]の雨が取[とり]もつ妖怪[ようかい]を見顕[みあらは]さんと壮士力士災ひ求める緒口[いとぐち]と知る哉[や]知らずや電妻[いなづま]の後[のち]にぞ思ひあたりける

つぎへ

▼下布努村…備後国三次郡。平太郎たちの住んでいる村。
▼享保五年…1720年。
▼元文元年…1736年。
▼人となりて…大きくなって。成長して。
▼幕の内…力士の階級の一ッ。幕内力士。
▼紀州公…紀伊徳川家。徳川御三家の一ッ。当時は大名がおのおの力自慢の力士を自藩に召しかかえるのがひとつのたしなみでした。
▼抱となし…藩に召しかかえる。
▼悉細…仔細。こまかい事情。
▼三年先…三年まえ。
▼尊敬して…「そんきょう」という音に注意。
▼音信せざりし日迚はなく…毎日おたがいの顔をつきあわせていたヨ。
▼壮士力士…壮士は平太郎。力士は権八。
▼災ひ求める緒口…怪事が巻き起るはじまり。
校註●莱莉垣桜文(2011) こっとんきゃんでい