登時[そのとき]一間[ひとま]に声ありて早まり給ふな稲生氏[いのううぢ]と云[いは]れて亦[また]も駭[おどろ]く稲生周章[あはてて]刀押隠せば襖[ふすま]を開[ひら]き三の井が徐々[しづしづ]出[いで]て稲生に向[むか]ひ▼最前[さいぜん]自己[おのれ]用事ありて次の一間[ひとま]へ来[きた]る折[をり]夜[よ]は明渡[あけわた]れど襖をもれて▼火影[ほかげ]映れば未[いま]だ起出[をきいで]給はぬかと失敬ながらさし覗[のぞけ]ば委細は知らねど切腹為[なさ]んず御容子[をようす]ゆゑ驚きしまま不図[はからず]声を出[いだ]せしなりと語るに稲生面目[めんぼく]なく差俯向[さしうつむき]て権八郎に今宵[こよひ]陰山正太夫が▼伽[とぎ]に来[きた]り▼女の首を斬[きり]しより▼長光[ながみつ]の一刀折[をれ]たれば兄▼庄左衛門に言訳[いひわけ]なしと切腹せしを物語[ものがたり]斯[かく]ては自己[おのれ]もまた庄左衛門に言訳[いひわけ]なきゆへに倶[とも]に割腹[かっぷく]して果[はて]んと思ふ心なりと聞[きい]て三の井呆れ果[はて]須臾[しばし]言葉もなかりしが軈[やが]て平太郎に陰山正太夫が兄に言訳[いひわけ]たたずして切腹為[なせ]しは是非なけれど続[つづい]て御身[おんみ]が敢果[あひはて]なば後日に言訳[いひわけ]する者なからん若[も]しまた庄左衛門が疑惑を生じ怒[いか]るとも君の所為[しわざ]にあらざれば決して死[しせ]るに及[およぶ]まじこの三の井が力を尽し御身の難儀にならざるよふ取計[とりはから]ひまいらせん陰山が死骸[なきがら]は何[いづれ]へ置[をか]れしやと尋[たづね]られ 匿置[かくしおき]し納戸[なんど]の戸を開[あけ]三の井氏御覧あれと云[いひ]つつ蒲団をとりのければ正太夫の▼影だにあらねば権八郎▼不審はれず稲生氏正太夫の死骸[しがい]は何[いづ]れにと問[とは]れ平太郎も陰山の形あらざるに始めて気が付き大[おほい]に駭[おどろ]き猶[なほ]また納戸の中を残るくまなく捜せども▼朱[あけ]に染[そま]りし血汐[ちしほ]の色さへ消[きえ]てなくなり唯[ただ]畳[たたみ]計[ばか]りあるのみなれば平太郎いよいよ呆[あきれ]須臾[しばし]茫然として居たりけり稍[やや]ありて権八郎▼太き息をつき稲生に向[むか]ひ是[これ]も正[まさ]しく変化[へんげ]の所為[しょゐ]にて御身[おんみ]危[あやふ]く一命を落[おと]す処[ところ]なりしも僥倖[さいはひ]拙者が来合[きあは]せたりしは偏[ひとへ]に神明[かみ]の加護にやよらんと感歎すれば稲生は猶[なほ]さら大[おほい]に歓喜[よろこび]権八郎が助くるにあらざれば▼犬死[いぬじに]せんとて厚く実意を謝[しゃ]した りけり
編者曰[いはく]▼稲生物怪録[ぶっかいろく]には三の井権八郎は同年九月上旬[はじめ]に死去[みまかり]しと記したれど其[そ]は稲生の養子▼新八郎の死去せしを書誤[かきあやま]りし者ならん又新八郎も妖魔の為に死去せしにはあらず▼命数[めいすう]の定まれる者なりと云[いふ]其[そ]は次の条[くだり]に魔王顕[あらは]れ平太郎に告[つぐ]るを待[まち]て▼看客[かんかく]宜敷[よろしく]知給[しりたま]ふべし