備後土産稲生夜話(びんごみやげいのうのよばなし)第二十話


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第二十話

[かく]て平太郎は翌朝八月一日伯父茂右衛門[もゑもん][はじめ]親族中へ魔王退去の由[よし]を知らしければ一家[いっけ]親類打寄[うちより]て歓喜[よろこび]の酒宴を開[ひらき][いはひ]けるそれに引返[ひきかへ]新八は五郎左衛門の云[いひ]し如く九月十一日に墓[はか]なく草葉の露と消[きえ]しかば実父[おや]中山源七[はじめ]平太郎倶々[ともども][いと]ど悲しさますらをか涙を袖に隠しとめ跡[あと][ねんごろ]にぞ吊[とむ]らいける其後[そのご]三の井権八郎は再び紀州の抱[かか]となり名も和歌ノ浦力蔵[わかのうらりきざう]と改め其頃[そのころ]名を轟かし夥[あまた]の弟子を求[もとめ]平太郎と兄弟[けいてい]の約を結び妻を迎へて暮[くらし]ける平太郎は山本が伝[つたへ]し術を施[ほどこ]し多くの病者[びゃうしゃ]を救[すくひ]しより益々[ますます]人に尊敬[うやまわ]れ早くも両三年の年を送り父が名を続[つぎ]武左衛門と改名[あらため]たるに国主[こくしゅ]も稲生の技量を聞給[ききたま]ひて元高[もとだか]五百石を送りければ稲生深く喜悦[よろこび]忠勤を励[はげみ]けるにより家中の者も平太郎の品行と出精[しゅっせい]を感じ同家中なる福井貢[ふくゐみつぎ]の娘に幸[かう]と云者[いふもの]年十七にて近隣に評判の美婦[びふ]なれば稲生の妻には似合しからんとて家中の人の媒介[なかだち]にい稲生の妻と為[な]ししが夫婦中[ふうふなか]睦間敷[むつまじく]幾程[いくほど]なく一子[いっし]を貰[もう]けまた二百石の加増ありて何不足なく其日[そのひ]を送りけるは最[いと]も不思議な物語とて其頃[そのころ]江戸霞ヶ関[かすみがせき]の上屋敷[かみやしき]へ彼[か]の平太郎来[きた]りしことありて人々伝へ聞[きき]しがまま拙[つたな]き筆に書[かく]は物しつ若子達[わこたち]御伽草紙[おとぎざうし]に記[しる]し畢[おわん]

▼茂右衛門…川田茂右衛門。平太郎の伯父。妖怪が出て来るような屋敷に平太郎ひとりで居座っておるのはいかんと意見をしてたひとり。「第十三回」参照。
▼新八…新八郎。平太郎の兄。
▼中山源七…新八郎の実の父。新八郎は中山家からの養子でした。
▼懇にぞ吊らひける…手厚くおとむらいをあげました。
▼紀州の抱へ…紀伊の徳川家おかかえ力士になること。
▼兄弟の約…義兄弟のちぎり。
▼両三年…二、三年。
▼国主…おとのさま。
▼忠勤…藩のおつとめにモリモリといそしむ。
▼家中の者…藩のひとびと。
▼出精…仕事に精出しちょるわい。
▼美婦…美少女。
▼霞ヶ関…各地の大名屋敷が立ち並んでいました。
▼若子達の…こどもたちの。

編者曰[いはく]稲生の奇説の如きは今[いま]開明の御代[みよ]に書伝[かきつとふ]るとも空[むなし]く人の嘲笑[あざけり]を招くが如き業[わざ]なれども此[この]物語は幽霊の類[るゐ]にあらず已[すで]に幽霊の如きは心経[しんけい]の煩[わづら]ひなりと言[いへ]ば今に於[おい]ては信じ難[がた]し然[さ]れども魔説の如きは西洋各国にても猶[なほ]この事を言ひはやせり既に十有余年前迄[まで]は往来[わうらい]にて突然[いきなり]髪の毛を斬[きら]れし[など]往々[わうわう]あり亦[また]平田篤胤[ひらたあつたね]先生の筆記せし遷境異聞[せんきゃういぶん]の如き奇説もあり或[ある]ひは山崎美成[やまざきびせい]翁の高山虎吉[こうざんとらきち]の物語等の同じ話[はな]しにして虎吉は終[つひ]高山志津魔[こうざんしづま]となのりて天狗に使[つかひ]し例[ためし]もあれば敢[あへ]妄説[もうせつ]と見るなからんを乞[こふ]

▼言ひはやせり…ひとびとの噂にのぼる。
▼突然髪の毛を斬れし…突然に髪の毛を切られてしまう「髪切り」の怪異は江戸時代を通じてたびたび噂にのぼったりしていました。
▼平田篤胤…江戸の国学者。
▼遷境異聞…『仙境異聞』。天狗にさらわれて別な世界にいったという寅吉という男の子から聴いた話を平田篤胤がまとめたもの。
▼山崎美成…江戸の雑学者。寅吉からむこうの世界の話をはじめに聴取した人物。名前の「美成」の訓みは正しくは「よししげ」。
▼高山虎吉…寅吉。俗にいう天狗小僧寅吉。
▼高山志津魔…寅吉があちらの世界でもらった名前「嘉津間」の誤り。
▼妄説…まるっきりのうそばなし。

明治十七年一月廿九日出版御届(定価十八銭)
編集兼出版人 東京府平民 加藤正七
  日本橋区檜物[ひもの]町八番地
発兌大売捌 旭昇堂
  同   所

▼明治十七年…1884年。
▼加藤正七…旭昇堂の主人。
校註●莱莉垣桜文(2011) こっとんきゃんでい