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備後土産稲生夜話(びんごみやげいのうのよばなし)第六回


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第六回

当下[そのとき]両個[ふたり]は川辺に到り塵[ちり]打払[うちはらつ]て大石に腰[こし]打掛[うちかけ]納涼[すずみ]けるに大熊山の方[かた]に当り小さき黒雲[くろくも][いづ]ると等しく晴渡[はれわた]りたる夕月も何時[いつしか]雲間[くもま]に隠されて忽[たちまち]ち暗夜[やみよ]に変[かはり][いと]物凄く偖[さて]勝地[せうち]の二筋川なれど寂寞[せきばく]として見へけるうち電光ひらめき雷[いかづち]の音烈[はげし]く鳴渡り俄[にはか]に降来[ふりくる]秋雨[あきさめ]に二個[ふたり]は呟[つぶや]き濡[ぬれ]しまま足を早めて立戻り各々[おのおの]我家に帰り平太郎は六助に寝衣[ねまき]を出させ濡衣[ぬれぎぬ]を脱替[ぬぎかへ]蚊屋[かや]に入[いり]てぞ休みける六助主人が濡[ぬら]せし帷子[かたびら]を掛竿[かけざほ]に干[ほし]つ自己[おのれ]も部屋に退[しりぞ]き枕に就[つい]て寝たるに暫時[しばらく]ありて六助が頻[しき]りと苦しむ容子[ようす][ゆへ]平太郎声を懸[かけ]呼起[よびおこ]して子細[しさい]を問[とへ]ば六助は面色[めんしょく]青ざめ物をも云ひ得ざる故[ゆへ]平太郎猶[なほ]も言葉世話敷[せわしく][とへ]かければ六助額[ひたい]の冷汗ぬぐひ主人に向ひて言[いひ]けるは唯今[ただいま]しがた枕に就[つ] き眠ると間もなく突然に何処[いづこ]より来[きた]るか大入道飛入[とびい]り私[わたくし]の上に跨[またが]り掴[つか]んで呑[のま]ん勢[いきほ]ひに驚き恐れて思はず声を出せし其折[そのをり]旦那様[あなた]のおこゑに目を覚[さま]せど猶[なほ][いま]だに夢の如くに思はれ升[ます]と語るを聞[きき]て平太郎[そ]は其方[そのほう]が臆病ゆへ左様な夢を見る者ならん気を鎮めて[とく][いね]と叱りつくれば是非なくも部屋のすみずみ虚労々[きょろきょろ]と見廻[みまはし]ながら再[ふた]たび横に寝[いね]たれど眠られもせで蒲団を冠[かむ]り夜の明るを千年[ちとせ]待間[まつま]の心持[ここち]しつ驚き震[ふる]へて居たりけり平太郎は今[いま]一寝入[ひとねいり]せんとせし折柄[おりから]吹来[ふきくる]風に行灯の灯火[ともしび]消て[しん]の暗[やみ]一双[いっそう][ねる]には増[まし]ならんと其侭[そのまま]枕に就[つき]たる折[おり]椽側[ゑんがは]の障子に写る焔[ほのふ]に驚き出火なりと思ひ蚊帳[かや]を巻上[まく]り起出[おきいで]て障子に手を懸[かけ][あけ]んとして[ひけ]ども動かぬ大磐石[だいばんじゃく]に気を燥立[いらだち]障子を蹴倒すに骨は砕けて明[あき]たれば燃上りし火は消[きへ][たちま]ち元の真[しん]の暗[やみ]平太郎不審[いぶかし]み須臾[しばし][たたず]み居たるうち身体[からだ]自由に動かぬ様に成[なり]ければ弥々[いよいよ][ふしぎ]の思[おもい]をなし一個[ひとり]考へをるうち以前の如く明るくなる故[ゆへ]瞳を定めて向[むこう]を見るに庭の彼方[かなた]に暗黒[まっくろ]大坊主立塞[たちふさ]がり眼[まなこ]を怒らす其[その]光りは明鏡[めいけう]の旭[あさひ]に輝く如くなりしが丸太の如き手を伸[のば]し平太郎の襟[ゑり]を攫[つか]み表の方へ引出[ひきいだ]さんづ勢いなれば了得[さすが]の稲生も大[おほい]に驚き六助刀を持参[もちまゐ]と呼[よべ]ど六助気を失[うしな]ひしか返事も絶[たへ]てあらざれば力を極[きわ]め妖怪[ばけもの]の手を払はんとする機[はづみ]後に[どう]と倒れしが枕刀[まくらがたな]を取上[とりあげ]さま妖魔[ようま]を目懸[めがけ]斬付[きりつけ]しに物怪[もののけ]早く椽下[ゑんした]に入[いり]ければ稲生益々[ますます]勇気を奮[ふる]い庭へ飛下[とびをり]椽下[ゑんした]へ続[つづい]て入らんとせしかども椽[ゑん]低くして入事[いること]かなわづ残念なりと思ひけん座敷に来[きた]り畳越[たたみごし]に突通[つきとを]さんと手探りに探れど畳あらざるゆへ手燭[てしょく]を尋[たづね]て火を灯[とも]し四辺[あたり]を見れば畳は片隅に残らず積[つん]でありしかば益々[ますます][あきれ]て茫然[ぼうぜん]たり

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▼勝地…景色のよい名所。
▼寂寞…ひっそりものさびしい。
▼六助…平太郎の家に仕えている下男。
▼蚊屋…蚊帳。蚊をよけるために吊る網幕。
▼大入道…ものすごく大きな図体の入道坊主。
▼得…疾。はやいところ。
▼千年待間の心持しつ…なかなか時刻が進んだ気がしなくて、ものすごく長い時間だと感じている様子。
▼真の闇…あたり一面まっくらやみ。
▼一双…いっそのこと。
▼出火…火事だ。
▼引ども動かぬ大磐石…巨大な岩石みたいにうんともすんとも動かない。
▼大坊主…ものすごく大きな図体の入道坊主。
▼明鏡の旭に輝く如く…鏡が朝の光を受けてぎらぎらぴかぴか光るようにかがやく様子。「日月の如し」などの妖怪の目がぴかぴか光る様子をしめした表現を引いてきたもの。
▼堂…倒れこむ時の擬音の一ッ。
▼枕刀…就寝時にまくらもとに置いておく護身用の刀。
▼手燭…手に持ってあたりを照らし歩くときにつかう燭台。
校註●莱莉垣桜文(2011) こっとんきゃんでい