備後土産稲生夜話(びんごみやげいのうのよばなし)第十九回


第一回
第二回
第三回
第四回
第五回
第六回
第七回
第八回
第九回
第十回
第十一回
第十二回
第十三回
第十四回
第十五回
第十六回
第十七回
第十八回
第十九回
第二十回

もどる

第十九回

魔王山本五郎左衛門[さんもとごらうざゑもん]は懐中より恭[うやうや]しく一[ひとつ]の巻物取出[とりいだ][これ]日本[ひのもと]神法[しんぽふ]にて蒼生神経術[そうせいしんけいじゅつ]と称[となへ]病者[びゃうしゃ]を救[すくう]の法にして呪[まじ]ないとも云[いへ]り今や汝に伝[つたへ]をかんと彼[かの]巻物を手渡[てわたし]なしその仕方の種々[さまざま]を稲生に委[くは]しく教へければ平太郎は了読[よみおはり][ななめ]ならず喜悦[よろこび]五郎左衛門を上座[かみざ]に居[おは]し再び魔王に打向[うちむか]新八郎権八郎が身の上を尋[たづね]ければ山本曰[いはく]三の井権八郎は我法[わがほふ]を強気[ごうぎ]に任して妨[さまた]ぐるゆへ病[やまひ]を以[もっ]て悩[なやま]せしが最早[もはや]無用のことなれば今宵[こよひ]の中[うち]に平癒すべし汝が兄の新八は我が悩めたる者ならず是[これ]短命の生来[せいらい]なれば救得[すくひゑ]さする良法なし当年九月十一日午[うま]の刻に死去[みまかる]べしと告[つげ]たれば平太郎は悲しくて最[いと]ど悲歎に沈む折柄[おりから]遥かに聞[きこゆ]二更の鐘に五郎左衛門遅滞[ちたい]したりと膝立[ひざだち]などせしが亦[また]も平太郎に我は今より奥羽[みちのく]金花山[きんかざん]に到るなり汝に逢[あふ]も是限[これかぎり][なが]らく妨[さま]たげ致せしと礼儀を述[のべ]て立上[たちあが]れば稲生は送りて別れを惜[をし]み魔王に就[つい]て庭先まで出[いづ]れば魔王の家来とおぼしくて異形[いぎゃう]のもの四五十人乗物[のりもの]を前に置[をき]其他[そのほか][やり]長刀[なぎなた]を陳列[ならべ]たて扣[ひかへ][ゐた]るか五郎左衛門を見ると等しく土地[だいち]にひたと平伏[ひれふし]たり此[この]とき一個[ひとり]の家来が乗物の戸を引開[ひきひら]けば山本が駕篭[かご]に乗[のる]よと見るうちに空中より白雲[しらくも]昇下[さがり]駕篭を覆[おほ]へば忽[たち]まちに登るが如くに消失[きへう]せけり

▼神法…おまじない。柏正甫の『稲亭物怪録』(1783)の結末には「彼怪物男に何ぞ妙薬の類か又は呪のやうなる事の伝授を乞得て置しならば世に重宝なるべきを」と、山本五郎左衛門に何も教わらなかったことを残念がった文があり、これを引いて潤色したもの。
▼上座…相手をへんなばけものではなく、ちゃんとしたお客としてむかえた態度。
▼新八郎…平太郎の兄。
▼権八郎…三の井権八郎。平太郎の隣に住むもと関取。
▼我法…これまで山本五郎左衛門がつかって来た、ひとを化かす術。
▼短命の生来…この世にうまれた時から決まっていた寿命が短かった。術で発生させた病気ではないので、魔王たちのまじないでも治すことはかなわないのじゃ。
▼二更…午後9時から午後11時ごろ。
▼金花山…金華山。三陸の沖にある山で、霊場としても名高い土地。
▼乗物…おとのさまが乗るような立派な駕篭。やり、なぎなたなどが立ちならんでいる様子は武家の行列とおなじような形。

記者聞処[きくところ]によれば五郎左衛門が此時[このとき]供立[ともだて]の行列は凡[およ]そ三十万石位の大名の況[さま]に見えたれど家来と覚[おぼ]しき者はみな西遊記にある化物に等しきさまなりしと云[いへ]

▼供立…行列のお供として出て来た妖怪たち。
▼西遊記…明の頃にまとめられた、三蔵法師が弟子の悟空、八戒、悟浄とともに天竺へ向かう物語。

平太郎が五郎左衛門の帰り去[さり]しを三の井に告[つげ]んと権八郎方へ到れば只今山本の言[いひ]し如く権八郎の病[やまひ]平癒し最[いと]健康[すこやか]になりければ稲生に語り喜悦[よろこば]せんと思[おもひ]し処[ところ]へ平太郎来[きた]り魔王退去のことを告[つげ]たれば三の井も斜[ななめ]ならず歓喜[よろこ]び云々[しかじか]と山本の伝[つたへ]しことども物語り其夜[そのよ]は両個[ふたり]眠りもやらで[よ]を明[あか]しぬ

つぎへ

▼眠りもやらで…寝もしないで。
校註●莱莉垣桜文(2011) こっとんきゃんでい