魔王山本五郎左衛門[さんもとごらうざゑもん]は懐中より恭[うやうや]しく一[ひとつ]の巻物取出[とりいだ]し是[これ]日本[ひのもと]の▼神法[しんぽふ]にて蒼生神経術[そうせいしんけいじゅつ]と称[となへ]病者[びゃうしゃ]を救[すくう]の法にして呪[まじ]ないとも云[いへ]り今や汝に伝[つたへ]をかんと彼[かの]巻物を手渡[てわたし]なしその仕方の種々[さまざま]を稲生に委[くは]しく教へければ平太郎は了読[よみおはり]斜[ななめ]ならず喜悦[よろこび]五郎左衛門を▼上座[かみざ]に居[おは]し再び魔王に打向[うちむか]ひ▼新八郎や▼権八郎が身の上を尋[たづね]ければ山本曰[いはく]三の井権八郎は▼我法[わがほふ]を強気[ごうぎ]に任して妨[さまた]ぐるゆへ病[やまひ]を以[もっ]て悩[なやま]せしが最早[もはや]無用のことなれば今宵[こよひ]の中[うち]に平癒すべし汝が兄の新八は我が悩めたる者ならず是[これ]▼短命の生来[せいらい]なれば救得[すくひゑ]さする良法なし当年九月十一日午[うま]の刻に死去[みまかる]べしと告[つげ]たれば平太郎は悲しくて最[いと]ど悲歎に沈む折柄[おりから]遥かに聞[きこゆ]る▼二更の鐘に五郎左衛門遅滞[ちたい]したりと膝立[ひざだち]などせしが亦[また]も平太郎に我は今より奥羽[みちのく]の▼金花山[きんかざん]に到るなり汝に逢[あふ]も是限[これかぎり]永[なが]らく妨[さま]たげ致せしと礼儀を述[のべ]て立上[たちあが]れば稲生は送りて別れを惜[をし]み魔王に就[つい]て庭先まで出[いづ]れば魔王の家来とおぼしくて異形[いぎゃう]のもの四五十人▼乗物[のりもの]を前に置[をき]其他[そのほか]鎗[やり]長刀[なぎなた]を陳列[ならべ]たて扣[ひかへ]居[ゐた]るか五郎左衛門を見ると等しく土地[だいち]にひたと平伏[ひれふし]たり此[この]とき一個[ひとり]の家来が乗物の戸を引開[ひきひら]けば山本が駕篭[かご]に乗[のる]よと見るうちに空中より白雲[しらくも]昇下[さがり]駕篭を覆[おほ]へば忽[たち]まちに登るが如くに消失[きへう]せけり
記者聞処[きくところ]によれば五郎左衛門が此時[このとき]の▼供立[ともだて]の行列は凡[およ]そ三十万石位の大名の況[さま]に見えたれど家来と覚[おぼ]しき者はみな▼西遊記にある化物に等しきさまなりしと云[いへ]り
平太郎が五郎左衛門の帰り去[さり]しを三の井に告[つげ]んと権八郎方へ到れば只今山本の言[いひ]し如く権八郎の病[やまひ]平癒し最[いと]健康[すこやか]になりければ稲生に語り喜悦[よろこば]せんと思[おもひ]し処[ところ]へ平太郎来[きた]り魔王退去のことを告[つげ]たれば三の井も斜[ななめ]ならず歓喜[よろこ]び云々[しかじか]と山本の伝[つたへ]しことども物語り其夜[そのよ]は両個[ふたり]▼眠りもやらで夜[よ]を明[あか]しぬ