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備後土産稲生夜話(びんごみやげいのうのよばなし)第十六回


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第十六回

[ここ]に陰山庄左衛門[かげやませうざゑもん]と云[いふ]ありその舎弟[をとうと]の正太夫[せうだいふ]と平太郎とは竹馬[ちくば]の友にて交[まじは]りも厚かりしゆへ一日稲生へ尋来[たづねきた]り怪事の話をなし居たりしが頓[やが]てことに正太夫傍[かたは]らの袋の中[うち]より一振[ひとふり]の白鞘[しらさや]の刀を取出[とりいだ][これ]はこれ我兄[わがあに]庄左衛門が先年主君より拝領せし備前長船[びぜんおさふね]の銘刀なり御覧に入[いれ]と差出[さしいだ]せば稲生取上[とりあげ]熟見[とくみれ]ば真[まこと]稀世[きせい]の銘剱[めいけん]ゆへ如何[いか]なることにて御秘蔵の此[この][たま]ものを御持参ありしと尋[たづね]れば正太夫は其儀[そのぎ]他ならず今宵[こよひ]拙者[とぎ]致し此[かの]物怪[もののけ]を此[この]刀にて一太刀[ひとたち]に斬[きっ]て棄[すて]後難を除かんとする所存なりとに稲生喜悦[よろこび][そ]は忝[かたじ]けなきことなりとて是[これ]より猶[なほ][たがひ]に語る四方山話[よもやまばなし]も永き別れとなる鐘の入相[いりあひ][つぐ]る秋の暮[くれ][いと]ど琳[さび]しさまさるめり折柄[をりから][ふり]くる村時雨[むらしぐれ]も心[こころ][をち]つきてよしと二個[ふたり]は夜[よ]と共に語らんとて対座なし居るとと早[はや]牛満[うしみつ]ともおぼしき頃勝手の方[かた]より女の首ごろりごろりと座敷の方[かた]へ転[ころ]げ来[きた]るゆゑ正太夫彼[かの]長光[ながみつ]の一刀を抜[ぬく]より早く斬付[きりつく]るに流石[さすが]名刃[つるぎ]のとくなるか彼[かの]生首二ッになり消[きえ]るが如く失[うせ]たれど其[その]一刀は目釘[めくぎ][をれ]て走り飛び柱に当[あた]りて真[ま]ふたつに折[をれ]たれば正太夫駭[おどろ]き面色[めんしょく][たち]まち青覚[あをさめ]て須臾[しばし]言葉もあらざるより稲生は気遣[きづか]ひ正太夫に言ふ[かく]大切の銘刀が柱に当[あた]りしぐらいにて折[をれ]るは合点[がてん]ゆかざるなり去乍[さりなが]ら如何[いかが]めさるる御所存と云[いは]れて陰山正太夫[かく]なる上は是非なしおめおめ帰宅もなり難[がた]ければ死[しし]て兄へ詫[わび]せんにと稲生荒果[あはてて]押止[おしとめ]早まり給ふな陰山氏[かげやまうぢ]畢竟[ひっけう]我が難気[なんぎ]を救わん為になされしなれば貴殿の過[あやま]ちならず拙者が不調法[そそう]も同[おなじ]ことゆゑ夜明[よあけ]なば拙者より御舎兄[ごしゃけい]にお詫[わび]まうせば必ず気遣[きづかひ]めさるなと諭[さとす]稲生が心根は実[げに]親友の情なるべし然[さ]れど正太夫は逆上[とりのぼ]せしが自己[おのれ]脇差[わきざし][ぬく]より早く腹へぐさっと差通[さしとほ]嗚呼と叫んで息絶[いきたへ]ければ稲生は駭[おどろ]き正太夫を救起[すくひおこ]して介抱すれども施[ほどこ]す術[すべ]は非[あら]ざりけり稲生は陰山正太夫の死骸を詠[ながめ][わが][いふ]ことを聞給[ききたま]はば命を捨[すつ]るには及ぶまじきを早遇しこそ恨みなれ貴殿に死なれては猶[なほ][もっ]て御舎兄に此[この]平太郎が言別[いひわけ]たたず遺憾なことになり行[ゆき]と思案の折柄[をりから]鶏明[けいめい][あかつき]を告[つぐ]るにふと心付[こころづき]人の来[きた]らぬそのうちにと陰山の死骸を納戸[とだな]の中[うち]に隠し血[あけ]に染[そま]りし畳など押片付[おしかたづけ]つつ思廻[おもひめぐ]らせば[とて]も此侭[このまま]にては済難[すみがた]し若[も]し庄左衛門このことを聞[きき]なば定めし我が害せしと疑はんは必定[ひつでう]なり一ッには此事[このこと]伯父の耳にいりなば[いさめ]を用[もちひ]ぬ故[ゆゑ]といはるるも口惜[くちをし]し今さら思ひ廻[めぐら]せば親戚の言葉に叛[そむ]きし科[とが]めにて斯[かか]る難儀を引出[ひきいだ]せしならん兎[と]にも角[かく]にも其筋[そのすぢ]へ願[ねがひ]検使[けんし]を受[うけ]たる其上[そのうへ]にて御沙汰を待[まつ]が本意ならん然[しか]はいへお上[かみ]のお手数を請[うけ]れば伯父茂右衛門[もゑもん]や兄新八[しんぱち]に苦労を掛[かけ]て面目[めんぼく]なし此上[このうへ]は是非に及ばず我も正太夫と斉[ひと]しく割腹[くわっぷく]なして言別[いひわけ]せんと硯[すずり]取寄[とりよせ]伯父と兄とに書置[かきおき][したた]め諸肌[もろはだ]ぬぎて刀引抜[ひきぬき]逆手[さかて]にもち我腹[わがはら]を突貫[つきつら]ぬかんと身搆[みがま]へせり

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▼竹馬の友…幼い時からの友人。
▼備前長船…名高い刀の銘柄の一ッ。
▼稀世の銘剱…この世にまたとない素晴らしい出来ばえの刀。
▼給もの…ご拝領の品。
▼伽…夜を一緒に明かすこと。
▼入相…日没。
▼牛満…丑満。午前2時ごろ。
▼勝手の方…おだいどころ。
▼目釘…刀のつかと刀身をつないでいる金具。
▼御舎兄…おにいさま。
▼諌…平太郎は伯父たち親戚一同から、あんな変なことの起きまくる屋敷にいて何かあったら困る、と言われていました。「第十三回」参照。
▼其筋…おやくにん。
▼新八…平太郎の兄。
▼割腹…切腹。
校註●莱莉垣桜文(2011) こっとんきゃんでい