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備後土産稲生夜話(びんごみやげいのうのよばなし)第九回


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第九回

翌朝になり三個[みたり]伽人[とぎびと]は再度[ふたたび]稲生へ来[きた]り様子を問[とひ]夜前[ゆうべ]云々[しかじか]のことありしゆゑ実は恐れて帰りたるが其後には不審[いぶかしき]ことの無[なか]りしやと尋たれども稲生は別に変[かは]りし事なければ其[その]趣を告[つげ]けるに各々[おのおの]平太郎が剛胆に呆[あきれ]たる折柄[おりから]兄の実父中山源七[なかやまげんしち]見舞に来り怪事[かいじ]の次第を尋るゆへ其[その]大略[あらまし]を物語[ものがたり]昨夜是々[これこれ]のことあれど我は少しもしらざれば最早[もはや]此限[これぎ]りにて静まるべし必ずお気遣下さるまじと云[いふ]に中山安堵なし[しから]ば新八郎にも申告[もうしつぐ]べし何にもせよ其元[そこもと]一個[ひとり]にては不自由ならん我等[われら]方の下男[げなん]八蔵[はちざう]を暫時[しばらく][つかは]し置くにより遠慮なしに使[つかふ]べしと最[いと]真実[まめやか]に言含めてぞ帰りける斯[かか]りければ近郷近在まで麦倉[むぎくら]屋敷に化物出[いで]種々雑多な怪異[けい]を顕[あらは]し夜な夜な家鳴[やなり]震動して怪敷[あやしき]ことのみ多かりしなど益[ますます]評判する程に夜毎に里人[さとびと]稲生の門前に夥しく群集[ぐんじゅ]せしかども娘子供らは気味悪[あし]くと怖[おそ]れて表[おも]てへ出[いづ]る者なく夜中[やちゅう][かはや]へ行[ゆく]さへも一個[ひとり]で行[ゆく]はあらざるより其[その]沙汰[さた]村の役所にきこゑ役人を以[もっ]て稲生の屋敷を見聞[けんぶん]せしに全く変化[へんげ]の所為[しょゐ]とわかれど施[ほどこ]す術[すべ]あらざるより見物群集差止の趣を書記[かきしる]し麦倉屋敷門前へ掲げ出[いだ]せる其[その]文に曰く

一今度[このたび]麦倉屋敷に怪事[かいじ]有之[これあり]右に付[つき]村内は不申及[まうすにおよばず]近郷近在まで聞伝[ききつたへ]て群集なし昼夜の差別[わかち]なく動揺[さはがし]ければ其為[そのため]に百姓共は農事を怠[おこた]り候義も有之哉[これあるや]に聞[きこ]え且[かつ]婦女子[をんなこども]に於[おい]ては驚怖[おどろきおそ]る者少[すくな]からず候に付[つき]今日より当屋敷門前へ群集差止候に付[つき]屹度[きっと]可相守申[あいまもりまうすべき]者也


 備後国三次郡
 寛延ニ年七月六日 布努村々役所

右の如く大筆[おほふで]に書認[かきしたため]て建[たて]しかば此後[こののち]群集せざりしとぞ

付言[つけていふ]稲生屋敷を麦倉屋敷と称[となへ]しは常に麦を多く庫[くら]の中[うち]に貯[たくはえ]しを云[いひ]しとなん

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▼伽人…夜をいっしょにすごす者。ここでは、「第八回」で「妖怪なんぞは怖くない一緒に伽をして進ぜよう」とやって来て、結局逃げちゃった武内伝吉、横井孫作、森川一平の御三方。
▼剛胆…きもったまが太い。
▼中山源七…平太郎の兄・新八郎の実の親。
▼其元…そなた。
▼近郷近在…近所の村々。
▼麦倉屋敷…平太郎の家のこと。
▼家鳴震動して…風や地震などでも無いのに家がガタガタ音をたてて揺れること。古くから怪異が起こすものとして物語や浄瑠璃などにも使われています。
▼里人ら…村のひとびと。
▼厠…おべんじょ。
▼沙汰…ありさま。
▼見物群集差止…ぞろぞろ集まって、やじうましに来るのを禁じるご命令。
▼寛延ニ年…1749年。
校註●莱莉垣桜文(2011) こっとんきゃんでい