翌朝になり三個[みたり]の▼伽人[とぎびと]は再度[ふたたび]稲生へ来[きた]り様子を問[とひ]夜前[ゆうべ]云々[しかじか]のことありしゆゑ実は恐れて帰りたるが其後には不審[いぶかしき]ことの無[なか]りしやと尋たれども稲生は別に変[かは]りし事なければ其[その]趣を告[つげ]けるに各々[おのおの]平太郎が▼剛胆に呆[あきれ]たる折柄[おりから]兄の実父▼中山源七[なかやまげんしち]見舞に来り怪事[かいじ]の次第を尋るゆへ其[その]大略[あらまし]を物語[ものがたり]昨夜是々[これこれ]のことあれど我は少しもしらざれば最早[もはや]此限[これぎ]りにて静まるべし必ずお気遣下さるまじと云[いふ]に中山安堵なし然[しから]ば新八郎にも申告[もうしつぐ]べし何にもせよ▼其元[そこもと]一個[ひとり]にては不自由ならん我等[われら]方の下男[げなん]八蔵[はちざう]を暫時[しばらく]遣[つかは]し置くにより遠慮なしに使[つかふ]べしと最[いと]真実[まめやか]に言含めてぞ帰りける斯[かか]りければ▼近郷近在まで▼麦倉[むぎくら]屋敷に化物出[いで]種々雑多な怪異[けい]を顕[あらは]し夜な夜な▼家鳴[やなり]震動して怪敷[あやしき]ことのみ多かりしなど益[ますます]評判する程に夜毎に▼里人[さとびと]ら稲生の門前に夥しく群集[ぐんじゅ]せしかども娘子供らは気味悪[あし]くと怖[おそ]れて表[おも]てへ出[いづ]る者なく夜中[やちゅう]▼厠[かはや]へ行[ゆく]さへも一個[ひとり]で行[ゆく]はあらざるより其[その]▼沙汰[さた]村の役所にきこゑ役人を以[もっ]て稲生の屋敷を見聞[けんぶん]せしに全く変化[へんげ]の所為[しょゐ]とわかれど施[ほどこ]す術[すべ]あらざるより▼見物群集差止の趣を書記[かきしる]し麦倉屋敷門前へ掲げ出[いだ]せる其[その]文に曰く
一今度[このたび]麦倉屋敷に怪事[かいじ]有之[これあり]右に付[つき]村内は不申及[まうすにおよばず]近郷近在まで聞伝[ききつたへ]て群集なし昼夜の差別[わかち]なく動揺[さはがし]ければ其為[そのため]に百姓共は農事を怠[おこた]り候義も有之哉[これあるや]に聞[きこ]え且[かつ]婦女子[をんなこども]に於[おい]ては驚怖[おどろきおそ]る者少[すくな]からず候に付[つき]今日より当屋敷門前へ群集差止候に付[つき]屹度[きっと]可相守申[あいまもりまうすべき]者也
備後国三次郡
▼寛延ニ年七月六日 布努村々役所
右の如く大筆[おほふで]に書認[かきしたため]て建[たて]しかば此後[こののち]群集せざりしとぞ
付言[つけていふ]稲生屋敷を麦倉屋敷と称[となへ]しは常に麦を多く庫[くら]の中[うち]に貯[たくはえ]しを云[いひ]しとなん